投稿者:京都乃銀鬼 投稿日:2015年11月18日(水)13時13分15秒   通報 編集済

近年より近日にいたるまで「査問・役職解任・活動停止・除名」等の処分が全国の学会組織で行われている。

その処分の内容を調べてみると、いずれも学会から除名された波田地氏に関連しているか、
もしくは学会執行部の悪事を漏洩したことを端として、結局、訳のわからない曖昧な理由で処分されている。

処分できる権限を有する者の言い分を並べると、
①学会執行部に天魔が入るなどありえない。
②組織の打ち出す方針に逆らってはいけない。
③会長は池田先生の指示で決めている
等々の主張が圧倒的に多い。

③に至ってはまるで先生が会長に指示している所を見てきたような口ぶりである。
これこそ師匠利用の典型ではないか。
本当に学会執行部が天魔に食い破られ、絶対間違えることはないのだろうか。
少し検証してみよう。

学会創立75周年を迎える2005年(平成17年)4月、池田先生は学会内部の悪と戦うことを宣言された。
そして先生は当時、青年部であった杉山・弓谷を呼び矢野攻撃を指示される。

実は、この頃から先生は最高幹部の裏切りを明言し出す。
これを受けて谷川・弓谷が矢野をつるし上げる。しかし、これをやられて一番困るのは秋谷と八尋だった。

なぜかというと矢野を攻撃すれば、必然的に秋谷・八尋の悪事が白日の下にさらされるからだ。
これらを阻止するために彼らは弓谷の身辺を探り、弓谷の女性問題をスクープして7月20日、弓谷は役職解任(全体会議)で失脚。
先生から「弓谷はケダモノ」との発言があった。

さらに「週刊新潮7月号」で弓谷解任がスクープされ創価学会青年部最高幹部でも「堕落する」という事実を内外に認識させた。

次ぎに、池田先生がまだ51歳だった1979年(昭和54年)当時の執行部はどうだったのか。
弓谷が失脚した翌年の2006年(平成18年)4月、当時の第5代秋谷会長は「五月三日へ私の誓い」と題してこんな発言をしている。

「嫉妬に狂った坊主どもの暴圧があった。それと結託した裏切り者どもの謀略があった。
だが、その虜と成り果て、魔に食い破られ、悔やんでも悔やみきれない事態を招いてしまったのは、すべて私ども執行部の罪である」
(2006年(平成18年)4月11日(火曜日)付 聖教新聞3面)と。

つまり、悪坊主と結託した裏切り者の虜と成って、魔に食い破られた当時の「執行部の罪」を認めている。
これは創価学会最高幹部の機関である執行部でも天魔が入る可能性があるということです。

この記事が掲載された当時は、池田先生が秋谷会長に対して一番罵倒していた時です。
同時中継に参加された諸氏はよくご存知だと思う。なお、この年の11月に第6代原田稔会長が就任した。

※参考資料として2006年(平成18年)4月11日(火曜日)付、聖教新聞3面に掲載された記事を二つ紹介します。

「広宣のリーダーに贈る」名誉会長 池田大作 (抜粋)

御聖訓《種種御振舞御書》
日蓮によって、日本の国の存亡は決まる。たとえば、家に柱がなければ保てない。
人は魂がなければ死人である。日蓮は、日本の人の魂である(919㌻通解)

「五月三日へ私の誓い」会長 秋谷栄之助 (全文)

創価学会は、牧口初代会長、戸田第2代会長、池田第3代会長が「永遠の指導者」である。
なかんずく、今や190カ国・地域に広がる世界広宣流布の偉業は、第三代池田先生の死身弘法、不惜身命の大闘争によって打ち立てられた。
「一閻浮提広宣流布」との日蓮大聖人の仏勅は、池田先生の御出現なくしては虚妄に帰したはずである。
仏法史上、どれほどの聖業か。
それだけに、今もって本当に申しわけなく、また情けなく、悔しくてならないのは、あの昭和54年4月24日の第三代会長御勇退である。
嫉妬に狂った坊主どもの暴圧があった。
それと結託した裏切り者どもの謀略があった。
だが、その虜と成り果て、魔に食い破られ、悔やんでも悔やみきれない事態を招いてしまったのは、すべて私ども執行部の罪である。
あの時の、全国、全世界の同志の叱責! 池田先生を求める悲痛な叫び!
いったい最高幹部たちは、何をしていたのか。
戸田先生の「第三代会長を守れば、広宣流布はできる」との遺言を忘れたのか!
私は、一言もなかった。
池田先生は泰然としておられた。
「いよいよ『世界』だ。本格的に世界広布の道を開こう」
私は、あまりにも大きく、深い先生の御境涯に、ただ頭を垂れるほかなかった。
すべて池田先生に拾っていただいた私である。
戸田先生の時代以来、一から十まで、池田先生に教えていただいた。
男子部長、青年部長にもさせていただいた。会長にまでさせていただいた。
全部、池田先生のご慈悲である。
先生だけが、御書の通りの大難を受けられ、学会を守ってくださった。
先生だけが、言語に絶する迫害の矢面に立ってくださった。
池田門下として会長職を25年もやらせていただきながら、果たして自分は、何ほどのことができたのか。
まことに、ふがいなく、申しわけない限りである。
いま「5・3」を前に、改めて誓う。二度と再び、あの敗北の弟子の姿であってはならない。
畜生のごとき忘恩の輩と断じて戦う。断固、打ち倒す。
それが池田先生に限りない御恩を受けた私の報恩の道である。
(2006年(平成18年)4月11日付 聖教新聞3面)