投稿者:河内平野 投稿日:2015年10月 4日(日)11時34分32秒   通報

まったく現実離れした空論である。
こういう考えだから、武士の功績が目に映らないのも無理もない。

あるいは、武士の大功を認めたくないから、こういう論法を持ちだしたのか――。

どれほど尽くし貢献しても、それを当然のことと考え、一言のねぎらいも感謝もない。

自身の権威・権勢を保つためには利用するだけ利用し、用がすめば捨てればいい
――天皇のもと、栄華を極めていた当時の貴族にとって、武士とはそれだけの存在でしかなかったのかもしれない。

自分たちを支え、懸命に働いている人々を見くだし、差別し、《もの》かなにかのように使い捨てる。
「悪」といえば、こんな「悪」も少ない。人間として最低の行為である。

いわんや、もっとも正しくあるべき宗教の世界で、そんな非道が許されるはずがない。

暴言に対して正成は、「そこまで言われるうえは、もはや異議を申し立てることはできない」と、
死を覚悟して湊川の決戦に向かう。

その結果、自軍は全滅。正成自身も自害して果てる。当然といえば当然の結末であった。

しかし、広宣流布の仏の軍だけは、絶対に敗れるわけにはいかない。

御本仏の「正法」を破壊することは絶対に許せない。

戸田先生は、「創価学会の歴史と確信」の中で、結論として次のような趣旨を語っておられる。

「ただ願わくば、賢明な僧侶があって、創価学会の同志を(楠木正成のように)
湊河原で死なせることがないよう願うものである」と。

創価学会員は、仏意仏勅の広宣流布に生きる無上の使命を持つ。
いかなる立場の人間であれ、学会員を利用し、手段とするならば、厳然たる仏罰は間違いない
――戸田先生はつねにそう叫ばれていた。

その叫びをわが叫びとして、私どもも敢然と進んでいきたい。

学会員をどこまでも大切にする――ゆえに学会は強い。幹部が中心なのではない。

学会員を尊重し、会員中心の行動を貫いてきたからこそ、学会はここまで発展してきたのである。

この戸田先生の精神のままに、聡明に、すべてを見極め、学会を悪に利用させてはならない。
策謀にだまされてはならない。

護法の御旗を掲げ、これだけの正法興隆をもたらした歴史は仏法史上、例がない。
御本仏日蓮大聖人の御称賛を深く確信していただきたい。

【第十三回関西総会、第五回兵庫県総会、常勝の花満開総会、県・区代表幹部会 平成三年十月十六日(全集七十九巻)】