2015年10月17日 投稿者:まなこ 投稿日:2015年10月17日(土)11時42分43秒 通報 §如来神力品§(4) 「文底」仏法は「民衆」仏法 ■ 虚飾を捨てよ!「人格」の光を!! 遠藤: 関西のある婦人部の方の思い出を、うかがいました。昭和三十二年(一九五七年)。池田先生が出席された座談会で、一人の壮年が、うとうとと「居眠り」をしていた。婦人のご主人が、その人を、しきりに起こそう、起こそうとしたそうです。 須田: 周りも、はらはらしたでしようね(笑い)。 遠藤: でも池田先生は、優しく、こう言われた、と。 「昼間、一生懸命に働いて、ここに来ているんだから、疲れているんだよ。無理に起こさなくていいんですよ。妙法の話というのは、毛穴からだって入っていくんです」。その一言で、いっペんに和やかな雰囲気に変わってしまった。 「若いのに、何てよくわかった人だろう。すごい人だ」と婦人は思ったそうです。 斉藤: 本当に大事なことですね。いわんや、会合に遅れて駆けつけた人を叱る権利なんて、だれにもありませんね。忙しいなかを一生懸命、来られたことをたたえるべきです。 遠藤: また別の拠点で、その婦人が、池田先生に報告をして帰ろうとしたら、先生がわざわざ表まで見送りに出てきてくださった。「本当に、ご苦労さまです。気をつけて帰ってくださいね」と言いながら、深々と頭を下げられた。 「これが創価学会の本当の幹部なんだな」と感動したそうです。 名誉会長: そんな昔の話を、よく聞いてきたね(笑い)。 遠藤: すいません(笑い)。ただ「人間のための宗教」ということを考えていて、結局、「人の振る舞い」がすべてだ、と。それしかない、と。そういう気持ちが、だんだん強くなってきたのです。 名誉会長: それしかない。私のことはともかく、要するに仏法と言っても、究極は「人格」です。立派な「人格」をつくるための仏法です。 立派な人格の人は、謙虚です。そして焼きもちを焼かない。自分のことではなくて、皆の幸福を考えている。私どもで言えば、広宣流布のことを考えている。だから「公平」です。だから「慈愛」がある。慈愛があるから「智慧」もわく。 どこの組織でも、大きくなると官僚化が始まる。創価学会は、永遠に、そうなっではならない。学会は「人間主義の世界」です。 組織と言っても、幹部で決まる。大きくなればなるほど、幹部は自分を謙虚に磨いていくことです。会員同志を「徹底的に」大切にすることだ。この「徹底的に」を本当にやつたところが伸びる。また、それが自分自身の仏道修行です。それが法華経です。 遠藤: また昔の話で恐縮なんですが(笑い)、やはり関西で、ある婦人が池田先生に「地区担当員(現在の地区婦人部長)の任命を受けたんですが、どのように戦ったらいいでしようか」と相談した。昭和三十四年の(一九五九年)の夏でした。 緊張している、その人に、先生は、こう言われたと聞きました。 「『どのように』という方法はありません。あなたは今まで『短い棒』を振っていたのが、今度、『長い棒』になった。長い棒になったから、どう振り回せばいいか悩んでいるんです。でも、短い棒も、長い棒も原理は同じです。根もとの部分を押さえて動かせば、棒の先は回るんです。扇子の要だって、同じ原理でしょう」と。そして「今までと同じように、真剣にお題目を唱えて、身近な人を大切にすることです。一人の人を大切にすることです。友の幸せを祈り、優しく、丁寧に激励していくことです。その一念が地区の全体に広がっていくんです。『一身一念法界に遍し』です。足元の激励、弘教を忘れて、広宣流布ができると考えていてもだめです」と。 もやもやしていた不安が、す-っと霧が晴れたようになって、「私にもできるんだ」という勇気がわいたそうです。 須田: 幹部になると、特別なことをしないといけないように思いがちですが、幹部になればなるほど、基本に徹することなんですね。 Tweet