投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2015年10月10日(土)09時39分33秒   通報

はじめに、《仏敵に供養すると地獄に行くか否か》という問題を突きつけられた場合、
そう単純に「はい・いいえ」で是非を決められるものではないと思います。

もちろん御書の中には

「まことの心なれども供養せらるる人だにも、あしければ功徳とならず。かへりて悪道におつる事候」(p1486)という御文もあります。

どんなに誠実な心で、真心のご供養をしたとしても、供養した人が悪人であれば、
功徳となるどころか、かえって悪道に堕ちてしまう、という意味ですが、

ではその人が「悪人である」という判断は、誰が決めるのでしょう。

日蓮大聖人がこの人は「悪人である」と判断したのは、何を基準に判断したのでしょうか。

今話題になっている財務にしても、財務をする相手は宗教法人である「創価学会」という教団です。
この教団の中には、当然、悪人の職員もいるし、その悪人である職員と戦っている善人の職員もいるはずです。

聖教新聞社にだって、池田先生と会員の離間工作をしようと躍起になって動いている職員もいれば、
何としても会員と池田先生の絆を繋ぎ続けようと戦っている職員もいるはずです。

また、公明党の議員の中には、立場上は言えないけれども、
何とか公明党を元の《平和の党》に戻そうと必死で祈り、苦しんでいる議員がいるかも知れません。

現に私たち創価学会員の間でも、同じ宗教団体に所属していながら、
反目し合い、お互いが正義だと思って戦いを起しています。

そして、どちらも池田先生の弟子との自負を持っています。

こう考えていくと、物事はそんなに単純ではないし、簡単に答えが出る問題ではないような気がします。

こういう複雑な問題に遭遇した場合、少し落ち着いて、じっくり思索し、大局観に立って物事を考えていかなければ、
法華経の精神を身読した日蓮大聖人の思想と池田先生の思想の真意が見えなくなっていく恐れがあります。

初代会長・牧口先生は「行き詰ったら原点に返れ」との言葉を残しています。

グリグリはその言葉に従い、原点に返ってこの問題を考えていきたいと思います。