投稿者:ジョーカー 投稿日:2015年10月31日(土)11時56分24秒   通報

>真の弟子とは?
池田先生を永遠の師と定め、如是我聞の人だと思います<

「如是我聞」は、真の弟子において不可欠な要素ですね。これなくしては、弟子を語れないという程重要であり、法華経はじめ、諸経典の冒頭に、必ず記されている言葉です。つまり、仏教においての魂であり、根本です。師の言葉(心)を体現してこそ如是我聞であり、だからこそ創価学会は、三代会長の指導を大事にするわけです。

創価学会の独自性とは、三代会長の指導を根本とするところにあります。これが同じ日蓮系における差別化であり、唯一誇れるものです。この軌道から反れてしまったのなら、独自性は消えうせる。教義変更により、御本尊のガラガラボンを遂行してしまったので、大御本尊論という卓越した本尊論を捨て、今あるのは、「時の会長認定論」という偏頗なものでしかなくなりました。時の会長認定論は独自性でも何でもなく、「本尊ならどれでもいい。ただし、会長が決める」という曖昧かつ、浅はかな本尊論ですので、まじめに取り合って議論する価値はないレベルです。これから本格的に本尊論の構築をしていくのだと思いますが、誰もが納得のできる論理展開を望むものであります。信仰の根幹である本尊論が浅いと、そのまま本末究竟等して、張りぼての偽物のような団体に堕していく。そうならないためにも、きちんと責任を果たしてもらいたいものです。

ルールなき、本尊の無秩序状態から一刻も早く脱却してほしいものですが、時間を要するでしょう。整合性なき行動は、混乱・困惑を生む。先生の指導を守り、足並みそろえた教義変更であったのなら、このような事態にはならなかったことでしょう。強行的に推進した人たちは心の中できっと、「しまった、やりすぎた」と思っているのではないでしょうか。推進したからには後には引けず、これを「是」として突き進むしか選択肢がない、極めて余裕のない事態に、自ら追い込んでしまったといったところでしょうか。焦らなくてもいいのに焦り、突き進んだツケは必ず払うことになります。

ともあれ、先生の指導から、わからないように少しずつズラしていく動きが見え隠れしています。体制側に都合の悪い指導を、カットしているのはその一旦でしょう。こういうジャブこそが後で効いてきます。内部の悪と戦わせないように、いかに骨抜きにし、無力化するか。これが魔王の戦略というものであり、気付くことすら難しい。しかし、如是我聞の真の弟子はそれを見逃さない。おかしいものはおかしいと指摘していくことが団結を乱す魔であるのなら、一体どこに正義があるというのか。不正を放置し、黙ることが正義だというのか。

魔王の戦略を見破れるのは、如是我聞の真の弟子にしかできません。戸田先生の「三代会長を守れば、広宣流布は必ずできる」との言を、如是我聞する弟子がいたのなら、54年は違った結果になっていたのではないか。先生の指導をわかったつもりなるのではなく、深く掘り下げて、実践する。そういった真の弟子の時代の到来こそが、創価の未来であり、希望なのだと思います。