2015年10月3日 投稿者:ジョーカー 投稿日:2015年10月 3日(土)09時36分44秒 通報 >本当に心から亡くなる時に先生ありがとうございます! と言って亡くなることが出来るようにすることが、1人の人を大切にすることのように思います< 恩を感じることができる人が幸せな人ですね。反対に恩知らずは不幸の証です。反逆者の共通点も、「恩知らず」であり、それは不幸を意味します。 あらゆる恩の中で、師恩は最上位に位置づけされるでしょう。それだけ崇高で、人間性の極致と言えます。「ありがとう」という言葉も、恩に対する感謝であり、人間性が豊かであればあるほど、口にするワードではないでしょうか。 遭い難き御本尊に巡り合えたのは創価学会のおかげであり、就中、創価三代会長の奮闘があったればこそです。その恩を感じられるかどうかであり、報恩の心を体得していくのが仏法です。一生成仏といっても、それは感謝の一念であり、報恩の心であると思うのです。「生きていること自体がうれしい、ありがたい」という豊かな心の中に、仏は住しているのでしょう。 54年は、師恩を忘れた「忘恩の弟子」の歴史と言っても過言ではありません。人は忘れる生き物ではありますが、絶対に忘れてはならないものがあります。それが「師恩」であり、仏法者が最も大事にするものであります。池田門下を名乗るのであれば、師恩にいかに報いるかが、人生の根本テーマであると思います。報恩感謝こそが現実世界における仏の振る舞いであり、そういう豊かな自分になるための信仰です。 祈りにおいても、感謝の祈りに変わった時に道は拓けます。これが体験談の共通点です。嘆きの一念から報恩感謝の一念へとシフトチェンジすることが人間革命であり、そこを意識し、題目をあげていくことが大切です。一念が変わるまで題目をあげきれるかどうか。祈りが足りないという現象は、一念を変革するまでには至っていないということです。自分を変えるのが仏法であり、一念変革の題目こそが、抱えている問題の解決の鍵なのです。私自身、いよいよの信心で、まずは題目革命からはじめていこうと決意しています。 Tweet