投稿者:ジョーカー 投稿日:2015年10月 2日(金)18時14分12秒   通報

・案外おばちゃん様
幹部の使命は率先垂範であり、道なき道を切り拓くところに存在意義があります。それがいつしか、率先垂範が「管理」へと変わり、組織の上にあぐらをかくようになる。あくまでも、大切なのは現場目線であり、そこから乖離していくところにズレが生じる。内容は伏せますが、某人材グループでは、実際に職員が特別待遇されているのを知っています。苦労を避け、役職だけが無駄に高い職員も多いでしょう。力量と役職が伴わず、また、「その役職必要か?」と疑問に思うようなポジションもあります。少しの意識のズレが勘違いを生み、傲慢な幹部を量産してしまう。臭いものの中にずっといると、自分の臭さもわからなくなる。そうして、感覚というものは麻痺し、自身の狂いに気付かなくなっていく。それを是正してくれるのが、善知識の「忠言」であり、その声に耳を傾けることができなくなると、末期症状であり、致命的なのです。

・名古屋人様
自発能動こそが宗教の魂でしょう。一人ひとりの学会員が物を考え、自立した信仰者へと深化していくことを喜べる人は善知識であり、その逆は悪知識です。人間を縛る宗教は邪教であり、本物の宗教は、人間を自由にします。組織においては、あらゆる意見を喜んで受け入れる度量(異体)が必要であり、その度量があってこそ強固な団結を築くことができる。何も一枚岩にすることが団結ではない。学会の中には、自発の心を奪い、やる気をなくさせていく魔が溢れています。魔は幹部の傲慢な振る舞いや、官僚主義となって具現化し、広宣流布を阻んできます。組織というのは、信心を助ける働きもすれば、信心を壊す働きもします。まさに諸刃の剣なのです。

・きれいごと様
結論ありきの拙速な教義変更をした弊害は必ず現れます。慌てなくてもいい問題であったのにも関わらず、様々な思惑が重なり、実行に移してしまったのでしょう。その結果が、なんとか辻褄を合わせるための教学へと変貌しようとしています。日蓮大聖人のお叱りを受けなければいいですが、やれやれどうなることやらといったところです。創価学会総体に関わる重大事項ですので心配です。

・誠実一路様
新・人間革命も終盤に入り、最後は54年のことを執筆して完結すると思います。先生の最後の戦いは、創価学会の中にある、54年の生命を断ち切ることなのではないでしょうか。そのために事実を明らかにし、後世の戒めとし、二度と同じ過ちを起こさせないために楔を打たれる。その心を受け継ぐことができるかどうかが本門の池田門下の最初の試練なのだと感じます。