投稿者:まなこ 投稿日:2015年10月 3日(土)18時31分10秒   通報
■ 人を元気にさせる「声」

斉藤: 次に舌根清浄ですが、これは婦人部にはかないません(笑い)。

遠藤: 「口八丁、手八丁」という素晴らしさですからね。

斉藤: 「舌の功徳」には二種類あります。一つは「何を食べても、おいしく感じられること」。二つめは「法を説く、その人の声を山を聞いて、皆が歓喜すること」です。

名誉会長: 一番目は「境涯の妙」だね。健康で、生命がはずんでいる人は、質素な食事であっても、おいしい。憂いに沈んでいれば、最高のごちそうでも「砂を噛んでいる」ようになる。もちろん、「だから料理がへたでもいい」ということではないが(笑い)、境涯というものは不思議なものです。
眼根清浄の人は、平凡な風景であっても、生命が輝き出づる奇跡を見るだろうし、耳根清浄の人は、うるさい赤ん坊の泣き声も、モーツァルトの曲に聞こえるかもしれない。

遠藤: たしかに、池田先生の写真を見ますと、平凡な風景も、「こんなに美しかったのか」と思います。

須田: 奥さんに叱られている声も、交響曲のように聞こえれば、素晴らしいですね(笑い)。

斉藤: どんなことでも楽しいということは、戸田先生が強調された「絶対的幸福境涯」にあたりますね。戸田先生は「絶対的幸福というのは、金にも因らず、健康もじゅうぶんである。一家のなかも平和で、商売もうまくいって、心豊かに、もう見るもの聞くものが、ああ、楽しいな、こう思う世界が起こってくれば、この世は、この娑婆世界が浄土であって、それを成仏というのです」と言われています。
例えば夫婦喧嘩をしても楽しい(笑い)、腹が立つ時も愉快に腹が立つ(笑い)とも言われています。

名誉会長: 大きな青空に、真綿の雲を広げて、その上で悠々と下界を見おろしているような境涯です(笑い)。そういう高い境涯になるためには、ジェット機のように、一心不乱に、信心ひとすじに走りなさいというのが、「法師功徳品」なのです。
「法師」とは「広宣流布のリーダー」です。広宣流布に身命を捧げた人のことです。自分が「法師」になれば、必ず、絶対的幸福という「大功徳」があるのです。

遠藤: 東京・台東区でブロック担当員をされている寺沢京子さんは、聖教新聞啓蒙の「達人」として有名です。九六年は一人で一〇五八ポイント、九七年は一六一二ポイントの啓蒙をされ、九八年も三年連続千ポイントの目標を掲げて、昨年以上の勢いで啓蒙を進めておられます。東京・秋葉原のお店に勤めている勤労婦人です。

名誉会長: こういう方々が学会を支えてくださっている。申し訳ないことだ。英雄です。女王です。心から賛嘆し、感謝していかなければならない。皆は偉そうなことを言っているけれども、足元にも及ばない。

遠藤: 寺沢さんが勤めている八階建てのビルには四十ものお店や会社が入っています。そこでビルに出入りする人に誰にでも明るく挨拶し、話のできる関係になっているそうです。もちろん、そうなるまでには、ごみの片付けを手伝ってあげるなど、困っている人がいれば、すすんで手助けをし、信頼を築く努力を長年重ねてこられました。多くの人が「寺沢さんが勧めてくれるなら」といって購読してくださるそうです。

須田: これだけの戦いをされている背景には深い決意があったのでしょうね。

遠藤: 寺沢さんはご両親の顔も知らず、おじいさんに育てられたそうです。ご両親が亡くなっていることを聞いたのは四歳の時でした。
そのおじいさんも、寺沢さんが小学四年生の時に亡くなり、近所の家に年季奉公に出されました。満足に学校にも行けず、本当に「おしん」のような生活だったそうです。
それからお手伝いさんや店員やウエートレスなどの仕事をしてこられました。そしてご主人と知り合い、十年前、五十三歳の時に結婚されました。同時にご主人の紹介で創価学会に入会されたのです。ご主人に巡り会い、また妙法に出合って寺沢さんの人生が変わりました。それまで一人ぼっちで心細い思いで生きてきたのが、精神的にも生活のうえでも、何の心配もない人生になった。“考えられないような境涯にさせていただいた”という感謝の思いが寺沢さんの原動力だそうです。“今、私にできることは聖教新聞を啓蒙し、学会理解の輪を広げることだ”と決意して立ち上がられたのです。

斉藤: 実際にどういう努力、工夫をされているのでしょうか。もちろん単なる「方法」でできることではありませんが —- 。

遠藤: 「決意してからは寝ても覚めても頭の中は聖教新聞のことばかり」と言われていました。真剣さに胸を打たれます。寺沢さんは体験談や「名字の言」など、それぞれの人に合った記事の切り抜きをこまめに贈呈されています。“この人には、この体験がぴったりだな。読ませてあげたいな”という思いが自然にわいてくるそうです。「声」を聞けば、その人の生命状態がわかるともいいます。例えば、元気そうに話をしていても、どことなくカラ元気みたいだな、と(笑い)。
そして、その人の心に響く話が自在にできる。

名誉会長: まさに耳根清浄 —- 「其の耳聡利なるが故に 悉く能く分別して知らん」(法華経p547)の境地ですね。人間通であり、対話の名人です。
また舌根清浄 —- 「若し舌根を以って、大衆の中に於いて演説する所有らんに、深妙の声を出して、能く其の心に入れて、皆歓喜し快楽せしめん」(法華経p555)のお姿です。これまでのご苦労が全部、生きてきたのでしょう。