投稿者:まなこ 投稿日:2015年 9月29日(火)06時40分11秒   通報
§随喜功徳品§
■ 妙法を伝える「喜び」—- 感激の心こそ「大切」

斉藤: 今回は「随喜功徳品」(第十八章)がテーマです。

池田名誉会長: 随喜功徳 —- 「随喜」すれば「功徳」があるということです。「喜んで」信心していけば、その分、大功徳があるということを教えている。「心こそ大切」です。
だから諸君も、同じ頑張るならば、「いやいや」ではなく、「喜んで」やったほうが得です(笑い)。
何でも、“ああ、またか、いやだな”と思ってやるか、“よしまた福運を積ませてもらおう”と勇み立つか。一念のわずかな差が、大きな差になってしまう。
随喜功徳品では、信心を勇んで人に勧めていく「大功徳」が、きちっと文証として示されている。

遠藤: はい。「法華経の智慧」も、前回から、いよいよ「流通分」に入りました。
時を同じくして、全国で、すごい勢いで弘教の対話が進んでいます。
<流通分は、序分(無量義経と序品)、正宗分(方便品から分別功徳品の前半までの十五品半)に続く部分。分別功徳品(第十七章)の後半から法華経の結経である観普賢経の経末まで>

須田: 「流通」とは「流れ通わしめる」という意味ですから、まさに弘教のことですね。
■ 我らは広布を願って生まれた

名誉会長: 「流通」とは「広宣流布」のことです。今、学び始めた「流通分」には「妙法広宣流布」への指針がちりばめられている。
だから、仏法三千年の歴史の中で、私どもこそが、この経文を実感をもって読むことができる。私どものための「随喜功徳品」です。
戸田先生は言われた。「予は立宗七百年を期として、これより盛んに広宣流布することを断定するものである」と。<「七百年の意義」>
昭和二十七年(一九五二年)です。会長就任の一年後でした。創価学会は折伏の団体です。広宣流布の団体です。広宣流布のために、御本仏・日蓮大聖人が呼び出された不思議なる団体なのです。この一点を、どこまで深く「自覚」できるかです。

斉藤: 日淳上人(第六十五世)は、こう言われています。読んでみます。
「将来の歴史家は立宗七百年以前は宗門の護持の時代とし、以後を流通広布の時代と定義するであろうと思われます。これまでの宗門の歴史を見ますれば時に隆昌がありましたが、結局、護持といふことを出なかったと考えます」(昭和三十一年=一九五六年元旦「開宗七百四年を迎へて」)
「開宗七百年を転期として一大流布に入ったということは正法流布の上に深い約束があるのではないかと感ぜられるのであります。これを思うにつけても創価学会の出現によって、もって起こった仏縁に唯ならないものがあると思います」(同)

遠藤: “ただならない仏縁”と言われていますね。本当に深い意味があると思います。

須田: 末法万年にわたる「流通広布の時代」が始まった。その開幕に応じて集った創価学会員について、日淳上人は、こうも言われています。
「法華経の霊山会において上行を上首として四大士(四菩薩)があとに続き、そのあとに六万恒河所沙の大士の方々が霊山会に集まって、必ず末法に妙法蓮華経を弘通致しますという誓いをされたのでございます。その方々が今ここにでてこられることは、これはもう霊鷲山の約束でございます。その方々を(戸田)会長先生が末法に先達になって呼び出されたのが創価学会であろうと思います。
即ち妙法蓮華経の五字七字を七十五万(の学会員)として地上へ呼び出したのが会長先生だと思います」(昭和三十三年=一九五八年五月三日「創価学会第十八回総会御講演」)
上人は、学会は「仏の一大集まり」とも言われています。

斉藤: これが宗門の先師の御言葉です。この明々白々たるお言葉を裏切った日顕宗は、先師違背の大謗法です。広宣流布を邪魔する「日蓮大聖人の大怨敵」になってしまった。

名誉会長: われわれは「流通広布の時代」を待ち、その時を選んで、今、生まれてきたのです。今世に、どれほどの深い使命があるか、どれほどの尊貴な立場か、はかりしれない。末法万年への先駆けです。それを思えば、大感激です。欣喜雀躍(きんきじゃくやく)です。しっかり御本尊を拝して、「自覚」をしなければならない。
随喜功徳品では、有名な「五十展転」が説かれるが、これを事実の上で実践してきたのも創価学会です。弘教といっても、単なる理屈だけではなくて、信仰の「感激」と「確信」「喜び」を語っていくのが根本です。それが、人の生命を揺さぶるのです。