投稿者:まなこ   投稿日:2015年 9月22日(火)19時15分3秒     通報
■ 妙法に生き抜く —- 寿量品の心

須田: 「如来寿量品」の「寿量」とは、「仏の寿命を量る」ことですし、「仏の大いなる功徳を量る」という意味もあります。寿量品の最初のところで教えていただいたように、私たちにとって、寿量品とは、仏の大生命力を我が身にたぎらせて「生きて生き抜く」ということにあるわけですね。

遠藤: やはり「長生き」が大事ということですね。

名誉会長: 「長寿は生命の芸術」と言った人がいる。長寿それ自体が勝利の姿です。寿量品には「更賜寿命(更に寿命を賜え)」とあります。
私も学会員の皆さまの「健康」と「長寿」を朝な夕なに、いつも祈っている。そのうえで、「仏界の生死」とは、単なる生きた年数の長さが証明になるわけではありません。
日蓮大聖人の御入滅は、数えで六十一歳。現代で言えば、ちょうど「還暦」で亡くなられている〈六十年と約八ヵ月の御生涯〉。還暦というのは、暦をひとめぐりした、完全に生きたという意味があると言えるかもしれない。また日興上人は八十八歳で入滅された。

斉藤: 当時としては、きわめて長寿でしょうね。

名誉会長: 九十歳を目前にしても「耳目聡明なり」と言われているように、お元気であり、二月の初めごろから病床に臥されて二月七日の夜半に亡くなられている。〈元弘三年(正慶二年)=1333年〉
御臨終に至るまで「老耄」も「病痛」も、まったくなかったと伝えられている。
また日目上人は、天奏(朝廷に対する諌暁=正法によって諌めること)の旅の途上で、七十四歳で亡くなられた。

遠藤: 今の岐阜県 —- 美濃の垂井が終焉の地です。

名誉会長: 殉教の御姿です。穏やかに天寿を全うしたというよりは、壮烈な戦死の御姿でしょう。

須田: 旅の途中ですから、ある意味で、「思いがけない死」だったと言えると思います。

名誉会長: 私は、三師が三様の亡くなられ方をされたことに深い意味を感じるのです。三師とも、広宣流布に戦い抜かれた「仏界の生死」であることは言うまでもない。
しかし、その御姿は、それぞれであり、それでいいのだと教えてくださっているのではないだろうか。

斉藤: 「生死の理を示さんが為に黄泉の道に趣く」(御書 p977) —- 生死の理法を示すために、死後への道を行く —- と言われますが、いろいろな生死の姿があることを教えてくださっているのですね。

名誉会長: 円教です。矛盾がない。例えば“何歳までの人生が理想”と定められたなら、そうでない場合は不幸を感じてしまう。

斉藤: 戸田先生が亡くなられたのは満五十八歳。決して長寿とは言えません。
また牧口先生は獄死です。七十三歳でした。牢獄でなければ、もっと長生きされたにちがいありません。

名誉会長: 長寿であろうと、短命であろうと、いかなる場所で、いかなる姿で亡くなろうと、広布に生き抜いた人は「仏界の生死」なのです。
私も、若いころから「三十までは生きられない」と言われた体です。しかし、戸田先生に代わって、生きて生き抜く以外になかった。「君は妙法の高山樗牛になれ。樗牛は三十一歳で死んでしまった。君は生き抜け。絶対に、私の後継として生き抜け」と。
あるときは「私の命をあげるから」とまで言ってくださった。そして、短命と言われた私が、いよいよ七十歳。健康です。人生は、まだまだこれからだと思っている。

遠藤: まさに寿量品の真髄のお話だと思います。

名誉会長: 「長寿」は、それ自体、宝です。しかし、もっと大事なのは、どう生きたかです。「百二十まで持ちて名を・くたして死せんよりは生きて一日なりとも名をあげん事こそ大切なれ」(御書 p1173)です。〈百二十歳まで、この身をたもって、名を堕として死ぬよりも、一日生きているだけであっても、名をあげることこそが大切である〉

須田: 初期の仏典にも、こう説かれています。「不死の境地を見ないで百年生きるよりも、不死の境地を見て一日生きるほうがすぐれている」(『ブッダの真理のことば 感興のことば』中村元訳、岩波文庫)。

斉藤: 「不死の境地」とは、「永遠の大生命」に目覚めた境地ですね。

須田: ええ。これについて、「つとめ励むのは不死の境地である。怠りなまけるのは死の境涯である。つとめ励む人々は死ぬことが無い。怠りなまける人々は、死者のごとくである」(中村元訳、前掲書)とも説かれています。