投稿者:まなこ   投稿日:2015年 9月20日(日)14時03分22秒     通報
■ 死後の生命を変えられるか

遠藤: 死後の生命には能動性がないということですが、もし、死んでしまって地獄界に溶けこんだら、もうどうしようもないということでしょうか。

名誉会長: だから今世で人間革命に励みなさいと言うのです。一生空しく過ごして、万歳悔いても、もう取り返しがつかない。ただし、妙法の力は偉大です。こちらが唱える題目は、宇宙生命に冥伏している生命にも届くのです。
戸田先生は「題目の力は偉大である。苦しい業を感ずる生命を、あたかも花園に遊ぶがごとき、安らかな夢のごとき状態に変化させるのである」とおっしゃっている。題目の音声は、全宇宙に届くのです。

遠藤: 生きている者の題目が、死後の生命にも通じる。そうしますと、死後の生命から、生きている者への働きかけはできるのでしょうか。

斉藤: 死後の生命は冥伏していて、能動性は失われているわけですね。したがって、死後の生命から、積極的に働きかけることはできないのではないですか。

須田: そういうことになりますね。一部の宗教では「先祖の霊があれを欲しがっている、これを欲しがっている」等と言って、信者にいろいろせびっているようですが、とんでもないことですね。

遠藤: その通りですが、「死者の声を聞いた」とか「幽霊を見た」とかいう体験も実際にあります。すべてを錯覚と決めつけられないようですが —- 。

名誉会長: 戸田先生は、死者の声を聞いたという人に対して、こういうふうに答えられたことがある。
「生きている人も十界の生命をもっている。それで、大宇宙に溶け込んでいる死後の生命の『生命の波長』を感じてしまうこともある。それを言葉で聞こえたように思う」と。
つまり、こちらの生命力が弱いから、向こうの「生命の波長」を受けて、自分がちょうどラジオかテレビの機械みたいになってしまう —- ということです。そして、自分だけが聞いたり、見たりするのです。だから戸田先生は、むしろこちらが強い信心で生命力を出していけば、こちらの仏界の「生命の波長」を送って、安らかにしてあげられると指導されていた。
「死んだ妻、死んだ先祖、これをいままでも、死霊などとだまされていたわけです。そのようなごまかしに、ひっかかってはいけません。そんなことを言ったら、死霊ばかりいて、身動きがつかなくなります」と断言されている。ともあれ、全宇宙が「生死の二法」のリズムを永遠に奏でている。
生命の大海の無限の潮流は高鳴り、静まり、一瞬も停滞することなく、「生」と「死」のドラマを繰り広げ続けている。その原動力を、寿量品では、如来の「神通之力」と説いたのです。
大聖人は「御義口伝」で、こう仰せです。「生住異滅の森羅三千の当体悉く神通之力の体なり」(御書 p753)。〈生まれ、生命活動を営み、衰え、消滅していく宇宙の万象の当体は(寿量品の久遠の如来の)神通の力の本体である〉
この神通之力 —- 根源の大生命を、我が身に開いていきなさいというのが、寿量品の肝要なのです。そして大事なことは、「神通之力」といい、宇宙生命と言っても、広宣流布へと全身全霊で行動するなかでしか感得できないということです。

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「御義口伝」から
「生住異滅の森羅三千の当体悉く神通之力の体なり、今日蓮等の類いの意は即身成仏と開覚するを如来秘密神通之力とは云うなり、成仏するより外の神通と秘密とは之れ無きなり」(御書 p753)

(寿量品の「如来秘密神通之力」の文についての「御義口伝」にいわく)発生し(生)、一定の状態を保ち(住)、変化し(異)、死滅(滅)していく森羅三千の現象の当体は、ことごとく神通之力の本体てある。日蓮大聖人およぴ門下の元意でいえば、我か身か凡夫の身そのままの姿で成仏するのてある(即身成仏)と覚知し、その境地を開くことを如来秘密神道之力という。成仏すること以外に神通も秘密もありえないのてある。
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名誉会長: 「一心欲見仏 不自惜身命」です。〈一心に仏を見たてまつらんと欲して 自ら身命を惜しまず〉
戸田先生は難と真っ向から戦って牢獄に入り、悟りを得られた。
「生も死も超えた使命感」に立って、広宣流布のために命も捨てようと誓った、その信心によって、生死の実相を覚知されたのです。
三世の果てまで広宣流布に戦い抜いていく —- その信心こそが「生死の大海」を永遠に悠々と渡っていく大船となるのです。
永遠の生命とは〈下〉
■ 仏界の生死 —- 大生命力で「永遠に前ヘ!」

名誉会長: さあ、新しい気持で「永遠の生命」を、探求していこう。今世で、がっちりと、その確証をつかみとっていこう。

一同: よろしくお願いします。

遠藤: 最近出た『死者のホンネ 英国墓碑銘の世界』(梅森元弘著、主婦の友社)という、ユニークな本があります。
イギリスのお墓に刻まれた墓碑銘の数々を紹介したものです。

斉藤: どんなものがありますか。

遠藤: そうですね。たとえば、「ここに眠るはわが女房/横にさせておこう/今、女房は休息中であるから/それでわしもゆっくりできるのだ」(笑い)。

名誉会長: 正直な墓碑銘だね(笑い)。

須田: さぞかし、口うるさい奥さんだったんでしょう(笑い)。

遠藤: 夫に先立たれた奥さんによる辛辣な墓碑銘もあります。「あなたについて行く気はありません。/あなたがどっちに行ったか、どうしてわかるの?」(笑い)。

斉藤: 地獄に行ったのか、天国に行ったのか、わからないじゃないですか、と。強烈ですね。

名誉会長: 確かに夫婦といえども、死後まで一緒とは限らない。人間は一人で生まれ、一人で死んでいかなければならない。厳しいものです。
もちろん、妙法の力によれば、愛する人と、三世にわたって一緒に生まれてくることができると仏法では説いている。

須田: 仲むつまじい墓碑銘も多いんでしょうね。

遠藤: もちろんです。

名誉会長: 一番多い墓碑銘は、どういう内容なのかな?

遠藤: くわしい統計的なことはわからないのですが、二百年以上にわたって、イギリス中の墓に多く刻まれたのは、こういうものです。「私もかつては君のようだったが/今の私のように/君もなるだろう」。

斉藤: 墓を見ている君も、いつかは死ぬんだよ、と。哲学的ですね。

遠藤: 同じ意味で、こんなのもあります。「じろじろ見るな/さっさと通りすぎろ/お前さんもすぐここに埋められるよ/俺と同じにね」。