投稿者:まなこ   投稿日:2015年 9月 2日(水)06時39分2秒     通報
遠藤: さて、家に帰るのも忘れて楽しく過ごしているうちに、三年の月日が経ちました。「月日のたつも夢の中」で、喜びの世界ですから、あっという間に時間が経ってしまったのです。

太郎は乙姫に別れを告げ、お土産にもらった玉手箱を小脇に抱えて帰ります。ところが陸に上がった彼は仰天してしまいました。世界が、がらっと変わってしまっているのです。竜宮城にいた三年間のうちに、地上では何と三百年も経っていた。まさに“ウラシマ効果”で、地上の時間は彼を置き去りにして、はるかに速く進んでいたのです。
それを知って太郎は絶望しました。身内もいない。友人だれ一人いない。景色も、見たこともない眺めが延々と続くだけ —- 。

名誉会長: この時の太郎の境涯は「地獄界」といえるかも知れないね。見るもの、聞くものすべてが自分という存在を拒絶している。世界のどこにも自分の“居場所”がない。太郎の生命空間は、みるみるうちに、しぼんでいった。

須田: そこで太郎は、たった一つの希望である玉手箱を開けてみます。その途端、もうもうと煙が出てきて、太郎は髪の毛も真っ白になり、よぼよぼの老人になってしまうのです。一瞬のうちに老いさらばえて、茫然と浜辺に座り込む太郎 —- 。考えてみると、衝撃的なラストシ-ンですね。

名誉会長: さて、これは何界になるだろうか。

遠藤: 難しいですね。地獄界だった太郎をさらに深い絶望に突き落としたという解釈もできますが、それだとあまりに悲惨な終わり方です。

須田: 乙姫も、とんだ残酷なお土産を渡したということになってしまいます。

名誉会長: そう考えると、一つの解釈として、これは「二乗界」への入り口を示しているのかもしれない。日蓮大聖人は「世間の無常は眼前に有り豈人界に二乗界無からんや」(御書 p241)と仰せです。
物語は何も語っていないが、年をとった太郎には、それまで見えていなかった「無常」というものが見えてきたのではないだろうか。

斉藤: “あの楽しかった日々も、何もかも、すべて過ぎ去ってしまった” —- 何かやるせない思いというか、悲哀のような余韻を残して、物語は終わっています。
確かに「六道」の世界を遍歴して、「二乗界」を示唆するところで幕を閉じているのかもしれません。

須田: 改めて見直すと、「人生とは」「人間とは」 —- と考えさせられる意味深長な物語ですね。

名誉会長: 仏法の生命論を知っていれば、何を見ても聞いても、本質が深くわかるようになる。これが教学を学ぶ一つの意義です。ともあれ、「人間にとって、本当の幸福とは何なのか」 —- ここに「十界論」の基調となる問いかけがあるのです。