投稿者:まなこ   投稿日:2015年 8月28日(金)08時40分24秒     通報
■ 在世 —- 釈尊と人格的交流があった

遠藤: 在世の一例ですが、釈尊が菩提樹下で成道してから、かつての修行仲間であった五人の比丘に初めて説法した時のことです。いわゆる初転法輪です。
五人は“釈尊は苦行から退転した者”として軽蔑していました。しかし、実際に会うと、釈尊の否定しようのない「人格の輝き」に打たれて、釈尊に帰依したと伝えられています。

名誉会長: その時の釈尊の第一声が「不死は得られた」だね。悟りを得た釈尊の実感を語っている。「永遠の大生命」が、釈尊の己心に脈打っていたのでしょう。永遠の「如来」の生命力が、瞬間瞬間、生命の深みから、わきあがってきていたのでしょう。
「人間・釈尊」からにじみ出る、その大境涯に感動して、五人の比丘は仏道に入った。釈尊という「人」を通して、永遠の「法」に触れたのです。釈尊の在世には、こういう師弟の人格的交流が可能だった。

須田: 釈尊と弟子の交流を伝えるエピソードとして、印象に残る人物がいます。それは、アングリマーラという極悪非道の盗賊です。アングリマーラの名も、その凶悪な行為に由来するそうです。アングリとは「指」、マーラは「首飾り」の意味とされます。彼は、多くの人を殺し、その指を集めて飾りにし、首からかけていたのです。その彼が、釈尊の「来れ」という一言で改心し、帰依したとされています。
その後、彼は托鉢に出かけますが、彼にいまだに恨みを持つ人々から、土や石を投げつけられ、衣を引き裂かれ、血だらけになりながら、釈尊のもとに戻ってきます。 釈尊はアングリマーラを励まして、こう言いました。「アングリマーラよ、耐えなさい。耐えて受けることです。汝は、これから幾年、幾百年、幾千年の間、地獄において受けねばならない業の果報を、今、受けているのです」と。

遠藤: 「転重軽受(重きを転じて軽く受く)」の法理を思い出させる話ですね。

名誉会長: 仏道修行を始めたからといって、過去の罪がただちに消えるわけではない。彼自身の非道による悪業の報いであったとしても、ひとたび改心し、自分に帰依した弟子が人々からそのような仕打ちを受けるのは、釈尊にとっても、どれほどつらいことであったか。身を切られるような痛みであったにちがいない。
何とか不退転の道を貫き、成仏の道を歩ませたかった。だからこその厳愛の励ましです。弟子の苦しみは師の苦しみです。師匠とはそういうものです。アングリマーラはその仏の慈悲を痛いほど感じたからこそ、耐え抜くことができたのでしょう。

斉藤: 目が見えなくなった阿那律(アヌルッダ)の話も有名です。彼が衣のほころびを縫うために、針に糸を通そうとしていた。しかし眼が不自由なので通らない。彼は「だれか私のために糸を通して、さらに功徳を積もうという人はいないだろうか」と、つぶやいた。すると「私が功徳を積ましてもらおう」という声がした。彼は、はっとした。温かい釈尊の声だったからです。
彼は恐縮して、辞退します。釈尊には、これ以上、功徳を積む必要がないではありませんかと。しかし釈尊は、そうではない、真理の追究にも、幸福の追求にも終わりはないのだと言って、糸を通してあげるのです。

名誉会長: いい話です。何より、困っている弟子を見たら、ほうっておけず、気さくに手伝ってあげた釈尊の実像が、生き生きと伝わってくる。
ともあれ、釈尊の教えそのものは、相手によってさまざまだったでしょう。しかし、釈尊との人格的交流によって弟子たちは正しい道を歩むことができた。釈尊在世に生きた人々は、現実の釈尊との触れ合いの中で「仏」を生き生きと実感しながら、仏の師である「法」に迫っていったのです。
■ 釈尊滅後・何を師として生きるか

斉藤: それに対して、釈尊の滅後は、どうしても「法」が根本になります。ならざるを得ません。「法」それ自体を直接、師としていくしかない。

名誉会長: そう。だから、釈尊滅後、仏弟子たちの修行は、この「永遠の法」即「永遠の仏陀」をどう感得するか —- この一点に集中していくことになるのです。
釈尊亡き後、直弟子やその流れを汲む出家僧たちを中心として、いわゆる小乗仏教教団が形成されていく。おそらく当初は、釈尊の遺した教えに基づいて、自己を厳しく律する修行が真剣に続けられていったことでしょう。
しかし、時とともにその精神は次第に失れれていった。釈尊の悟った「法」即「仏」を自己の内に見るという本義を離れて、釈尊一人を、自分たちとは違う存在と見なす傾向が生み出されていったのではなかろうか。
人間・釈尊が悟った「永遠の法」即「永遠の仏陀」を自ら体得するという戦いが、いつしか忘れさられていったのです。大ざっぱな言い方だが、本質は、そういうことになるのではないだろうか。