投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2014年12月28日(日)08時30分5秒  

ここまでのところを一度、整理したいと思います。
まず結論からいうと、開目抄は「日蓮大聖人の宗教」の確立を告げた書といえるでしょう。
「主師親の三徳」を主題テーマとしつつ、
開目抄の前半では、五重相対して末法の世を救う「法」が明確になり、
後半では、その法を弘める「末法の師」が明かされていきました。

特に、その後半で法華経の「見宝塔品・提婆達多品・勧持品」の経文に照らして、
大聖人の「弘教と受難」は経文と一致することが示され、
大聖人こそが末法の法華経の行者であることを明かされました。

残る問題は、ではどうして法華経の行者に難があるのか、
また難が起こったときに、あるはずの諸天善神の加護がないのはなぜか、
という二つの問題です。

これが開目抄の「此の書の肝心・一期の大事」(二〇三頁)と言われた問題です。
この問題に対して、大聖人は「文証」を示し「道理」をもって答えていきました。
今度はそれを見ていきたいと思います。

まず本文です。
「有る人云く、当世の三類はほぼ有るににたり。
但し、法華経の行者なし。汝を法華経の行者といはんとすれば大なる相違あり」(二三〇頁)

――ある人が次のように言った。今の世に三類の強敵は、ほぼ現れたといってよい。
ただし、法華経の行者はいない。あなたを法華経の行者であると認めれば、
経文と大きな違い(矛盾)がありすぎる――というものです。

そして、四つの経文を通してその矛盾が述べられていきます。それをまとめると、

①法華経の行者には、天の童子たちが仕え、刀や杖で打つことは出来ないし、毒をもって害することもできない。
②法華経の行者を憎み、罵声を浴びせれば、その人は自閉症のように口は塞がってしまう。
③法華経の行者は、現世は安穏であり、未来は善いところに生まれる。
④法華経を説く者を悩まし、その心を乱すものは頭が七つに割れて脳乱する。
⑤法華経の行者は、その功徳として、この一生のうちに幸福になる。
⑥この経典を受持する者を見て、悪口を言う者は、それが真実であろうとなかろうと、
この一生のうちに重病に苦しむ。(同頁)というものです。

これらが説かれているにも関わらず、あなたにはその諸天の加護がないではないか、という疑問です。