2015年8月25日 投稿者:虹と創価家族 投稿日:2015年 8月25日(火)09時29分14秒 通報 編集済 おはようございます。 安保法制にしても、人革改ざんにしても、会則改定にしても、最終的な幹部の発言は「先生のご発言が無いと言うことは正しい」に帰着します。 それは役職が上がるほど強い傾向にある。 まれに対話にならないほど、「先生のご発言が無いと言うことは正しい」目の色を変えて話してきます。 「ならば2012年2月10日に、先生の敵である矢野絢也と創価学会(谷川副会長)が和解したのを、あなたは正しいと言うのか!」と質問すると沈黙してしまいます。 『先生のご発言が無いから正しい』と弟子が想像して物事を判断するのは、先生に責任をなすりつけていると同じです。 厳しく言えば自分で責任を持たず、自己都合で先生を利用し、自身を正当化しているとも言えます。 私たちは2010年5月を最後に、先生がお姿を隠された意味を深く思索しなければいけません。 黄金の三年の指導は「深く大きく境涯を開き、目の覚めるような自分自身と創価学会の発迹顕本を頼む」です。 先生は「創価学会を頼む」と言われたのです。 いつまでも物事の善悪や正邪、方向性を、池田先生にご判断して頂かなけれならないようでは情けない。 まるで親離れしていない子供。自立していない現れです。 恩知らずの子供に多く見られる傾向性ですね。 先生は膨大な書籍やスピーチを残して下さっています。 先生の言葉に基づき、物事の正邪、思考、自分の有るべき姿や方向性を思索すれば、おのずと弟子の進む道が見えてきます。 安保法制にしても、先生の過去のご発言に照らして思索し、『自己責任』で判断するのが弟子の道ではないでしょうか Tweet