投稿者:河内平野   投稿日:2015年 8月23日(日)11時44分48秒     通報
近代戦争の主導権を握っていたのは、あくまで国家であった。

若干の例外はあるとはいえ、主権国家と主権国家とが、国益や威信をかけて争うのが、近代の戦争の主たる形態をなしていた。

しかし、核兵器の出現は、こうした近代戦争の概念を、根底から覆すものであった。
それは、破壊力、殺傷力のあまりの巨大さゆえに、″使えない兵器″としての性格をもっていたからである。

核兵器の使用による被害は、敵国のみならず自国にも及ぶ。
それどころか、核拡散が進むにつれて、それは、人類絶滅にも通じかねない。

国家間の戦争に使用するには、あまりに″高価″な代償をともなうことは、だれの目にも明らかである。

そこで案出されたのが、核抑止力という″神話″である。
核兵器の脅威をもって相手に恐怖感を与え、戦争抑止に役立てようとするこの考え方は、
徹頭徹尾、相手への不信感に根差すものであった。

不信は必ず不信を呼び、相互不信の悪循環はとどまるところをしらない。

その後の核拡散の進行、あるいはSALTなどの米ソ間の核軍縮交渉が、一向に進まない現実をみても、

抑止力信仰の破綻は明らかである。
【論文「二十一世紀への平和路線」池田大作  1979年2月 (池田大作全集一巻)】