2015年8月12日 投稿者:まなこ 投稿日:2015年 8月12日(水)19時12分2秒 通報 ■ 仏は太陽、仏は蓮華 名誉会長: 釈尊は、「慧日大聖尊」(法華経 p160)とも呼ばれる。“智慧の光を放つ太陽”とされているのだね。人々に法を説く教主・釈尊は、太陽であり、蓮華ということです。このことは、非常に重要です。 斉藤: 『大智度論』には、「千葉の蓮華」と「智慧の光」の関係を示す話が記されています。 —- 釈尊が三昧に入っている時、大光明を発した。すると、その一々の光は、宝石でできた「千葉の蓮華」となり、それぞれの蓮華の上にみな仏が生じていた —- と。 名誉会長: 仏の智慧は「慧光」と呼ばれる。仏の慈悲は「慈光」と呼ばれる。ともに光に譬えられている。この話は、仏の智慧と慈悲の「光」を母として、諸仏が誕生することを示しています。 ゆえに私どもも、人々に「光」を当て、「光」を送らなければならない。自分も「光」を浴びなければならない。暗がりにいてはいけない。暗がりに人を置いたままにしてもいけない。暗がりでは、花は咲かない。蓮華は咲かない。 自分が縁するすべての人に、妙法の「光」を送るのです。それが、自分の「光」を増すことになる。無数の「千葉の蓮華」の上に、無数の諸仏が誕生していく —- 壮麗な光景です。これに似た光景が法華経にもあったね。 虚空会で、釈尊と多宝如来が宝塔の中に「二仏並坐」する。その宝塔の周りに、十方の世界から分身の諸仏が集まってくる —- 。 須田: はい。この諸仏は「蓮華の群集」に譬えられています。 ■ 一切の法門は「蓮華」の二字から 名誉会長: 「蓮華」から万物が出生するという思想は、華厳経の「蓮華蔵世界」などでも展開されていますが、くわしくは略したい。 日蓮大聖人は、「蓮」の一字について、「万法の根源、一心三観・一念三千・三諦・六即・境智の円融・本迹の所詮源蓮の一字より起る者なり」(御書 p1364)とされている。 また「一切の法門は蓮華の二字より起れり」(御書 p809)とも仰せです。万物を生む蓮華といっても、その究極は南無妙法蓮華経以外にない。 「蓮華と太陽」について話は尽きないが、まだ別の観点があるだろうか。 斉藤: 「胸間の蓮華」ということが説かれますが、一説にはこれは「心臓」のことであり、心臓は同時に太陽であるとされます。 名誉会長: 心臓が蓮華であるというのは、心臓の形が、ちょうど蓮華がつぼんでいる姿に似ているからだね。しかも心臓には筋脈がついていて、八つに分かれているように見える。それで心臓のことを「八葉の蓮華」ともいった。 遠藤: 古代インドでは、人間の体を「ブラフマン(梵)」(宇宙の根本原理)が住む、「ブラフマンの都」と、考えました。 心臓は、その都の中の「小さな白蓮華の宮殿」としています。 名誉会長: 心臓が蓮華というのはわかったが、同時に太陽でもあるというのは説明が必要だね。 斉藤: はい。人間の心臓と、太陽は微細な脈管でつながっていると考えられていました。太陽の「光」を栄養として、心臓の中の「我(アートマン)」が活動していると、考えたのです。 須田: 要するに、心臓を動かし、人間を生かしている生命エネルギーは、太陽エネルギーに由来しているということでしょうか。 名誉会長: そう見れば、現代科学の見識にも一致するね。食物連鎖をたどれば、すべてのエネルギーの根源は、太陽光線にある。太陽は、地球上のあらゆる生命の母だ。人間の営みもすべて太陽の恵みがあればこそです。 要するに、太陽も、蓮華も、宇宙のエネルギーの根源を象徴している。その当体は南無妙法蓮華経であり、妙法は即太陽、即蓮華です。人に即していえば、大聖人が太陽であり、蓮華です。 Tweet