投稿者:KS部OB    投稿日:2015年 8月11日(火)12時53分17秒     通報
【北海道・東北・中部・北陸・信越合同研修会】(2006・8・21)

新しい歴史を開く合同研修会、本当にご苦労さまです。
シベリアのロシア・サバ共和国といえば、世界で最も寒い地域。1月の気温が、なんとマイナス40度から50度以下にもなるという。
「私たちの言葉では、北極星のことを『天を支える柱』と呼びます」
2004年1月、サバ共和国の北極文化芸術国立大学から「名誉教授」の称号をいただいた折、ボリソフ総長(同国文化大臣)が、そう教えてくださった。
〈さらに総長は「きょう、池田会長とお会いし、会長こそ『民衆を支える柱』であると確信しました」と〉
日本の北国で戦っておられる北海道、東北、信越、北陸の皆さまは「広宣流布の北極星」と光っていただきたい。
そして中部は、広布の勝利の「一番星」「大金星」と輝いていただきたい。
この5方面こそ、全国、全世界の創価学会を支える「柱」との気概を持ってもらいたい(大拍手)。

戸田先生は、北海道の同志に、こう語られた。亡くなる半年前、札幌の体育大会でのご指導である。〈昭和32年8月18日〉
「初代の会長は、青年が大好きだった。私も青年が大好きです」
「皆さんの双肩には、東洋の指導者として、人材として立っていく任務がかかっている。きょう、北海道の青年の姿を見て、おおいにたのもしさを感じている。
日本民衆の先駆けとして立っていくことを願って、私の訓示にかえる」
あのころ、皆、まだ貧しかった。皆、日々を生きることに懸命だった。
そういう青年たちに、先生はいつも、日本を背負い、世界に羽ばたく大望を抱けと教えられた。
「われわれは、人間革命、宗教革命によってこそ、ほんとうの幸福をつかみ、平和な社会を建設することができる」
これも、北海道でのお話である。
個人の境涯だけでなく、一国の境涯、人類の境涯を高めゆくことが、私たちの使命なのである。

戸田先生は、私にこう言われた。
「仏法は、人類のため、全世界の民衆の幸福のための大法である。ならば、人類のかかえる課題の一つ一つは、そのまま仏法者の避けがたいテーマとなるはずだ」

「広宣流布」とは、政治、経済、文化、教育など、人間のあらゆる活動の根幹に、生命尊厳と人間主義の哲学を浸透させゆく運動である。
ゆえに青年は、世界の動向を見つめ、思索し、未来を展望するスケールの大きさをもってもらいたい。

「僕は、日本の広宣流布の盤石な礎をつくる。君は、世界の広宣流布の道を開くんだ。 構想だけは、僕がつくっておこう。
君が、それをすべて実現していくんだよ」
── 厚田の海を二人で見つめながら、戸田先生は言われた。それを私は、小説「人間革命」に書きとどめた。
私には、この先生の書葉通り実践してきた自負がある。世界に広宣流布の道を広げ、人類のため、文明間の対話の道を開いてきた。
師弟、師弟といっても、口ではなく、心が師匠と一体でなければいけない。行動が「不二」であらねばならない。
私は「師弟不二の道」を貫いた。諸君も続いてもらいたい。「師弟」のほかに、創価学会の魂はない。
戸田先生と出会ったころに読んでいた、阿部次郎の『三太郎の日記』。
そこに、鋭い一言があった。
「我等には生活の中心が必要である」(『三太郎の日記』岩波書店、現代表記に改めた)
では、いかにして「生活の中心」を発見するか。
それは「最も自分に適しそうな人を選んで、その人の内面的発展を精細に跡付け、その通った道を自分も内面的に通って見ることである。約言すれば自らその『師』を択んで、自己の鍛錬をその師に托することである」(同)。
私にとっては、自己の人生を託し、生涯の「生活の中心」となった師匠こそ、戸田先生であった。

南無妙法蓮華経という法があっても、それを実践し、弘める人がいなければ、法の偉大さは分からない。
信心を深めることは難しい。そのために仏法には「師弟」がある。師弟の道を貫く現実の行動によって、妙法への信が深まっていくのである。

残暑が続いている。これからが夏の疲れが出る季節でもある。聡明に、「信心即健康」のリズムをつくっていただきたい。
また同志の中には、自身が病気であったり、ご家族が病気の方もおられるだろう。
牧口先生は「(病気が)治るという結果は治ろうとする自力と治そうとする他力との確信をもった協同に依るものである」と言われた。
健康になるために、医学の力は、当然、必要である。
しかし、医学の力をどこまで引き出せるかは、自分自身の生命力による。
日蓮大聖人は、四条金吾の子どもが病気になったことを聞かれ、「南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さはり(障)をなすべきや」(御書1124ページ)と励まされた。牧口先生は、御書のこの部分に傍線を引かれている。
同じく「妙とは蘇生の義なり蘇生と申すはよみがへる義なり」(同947ページ)の御聖訓にも傍線がある。
妙法は、生命を貫く大法則である。妙法を根本に生きる ── すなわち、妙法を信じ、持ち、弘めることは、大聖人に連なる振る舞いである。ゆえに、生老病死の苦しみを超えて、常楽我浄の生命の境涯を楽しむことができる。
病気といっても、症状や状況はさまざまであり、一概にはいえない。
しかし、大事なことは、「断じて治す」と決めて祈ることである。また、ご家族が題目をあげ、学会活動に励んだ功徳は必ず本人に通じていく。
生命の奥底から、生きる力を引き出して、偉大なる人間勝利のドラマをつづっていただきたい。

前進か、後退か。どんな団体、組織であれ、それは、中心者で決まってしまう。
目下の課題と真剣に向き合う。四つに組んで戦う。そういう姿勢が中心者になければ、組織は烏合の衆になってしまう。
昭和30年の「小樽問答」の時である。
その〝作戦会議〟に臨んで、戸田先生は厳しく言われた。
「想定されるあらゆる事態に備えて、的確な対策を立てよ。勝負は今、ここで決定するといってよい。智慧は今こそ必要なのだ」
ひとたび戦いを起こしたならば、万全の態勢をつくり、徹底的に戦う。押して押して押しまくる。そして、その行動が最大の価値を生むよう、真剣に祈る。これが「勝利の方程式」であることを知っていただきたい。

中部にあって力を蓄え、天下を制した織田信長、豊臣秀吉、そして徳川家康。
戸田先生は、3人の英傑を、折に触れて比較された。毎朝の〝戸田大学〟でも、よく論じておられた。
なかでも先生は、信長がお好きであった。
日本の中世を終わらせ、近世を開いた彼の実行力、決断力、常識にとらわれない進取の気性を、高く評価しておられた。
先生は言われた。
「信長は、常に、大きな希望を持って生きていた。私は、それが好きだ。
また過去にも絶対にとらわれない。戦にも自分から率先して戦った」
「信長は、人のやらないことを、先へ先へと実行した。常に新しいものを取り入れ、自分から試していた」
「信長は、勝敗を決する重大な要素の一つとして、スピードを用いた。そのスピードで、敵に勝った」

ある時は、徳川家康を通して、こう言われたこともある。
「江戸時代でも、家康のころは、形式にとらわれず、役に立つことを端的に用いていくというやり方だった。今の価値論である。
ところが、5、6代目あたりになると、形式だけが重んじられる政治になってくる。このような形式主義を破る若者が出なければならない」
戦いは、形式になってはいけない。実質が大事である。戦いが、どういう効果を生み、どこまで前進したのか、その実質を見ることだ。
「われわれがやることではない」とか「前例がない」などとへ途中の方法や手続きにこだわりだしたら、組織が衰退の方に向かっている、と厳しく見なければならない。
中国の唐代の名君・太宗の発言にこうある。
「富貴に慣れるところから驕奢の心が生じ、物事をゆるがせにするところから禍乱の種が芽生える」(『十八史略Ⅳ』花村豊生・丹羽隼兵編訳、徳間書店)
時代は動いている。
現代の経済界を見ても、その栄枯盛衰は驚くほど早く、激しい。熾烈な生存競争である。
私が対談したアメリカの経済学者、レスター・サロー博士はそのことを詳しく分析され、警鐘を鳴らしておられた。
「昨日うまく機能したものが、明日もまたうまく機能するという保証は全くない」
「最も重要な問題は、自分自身を作り変え続けることができるか、ということである」(『経済探検未来への指針』島津友美子訳、たちばな出版)
これは他人事ではない。戸田先生は言われていた。
「常識というものは、往々にして、時代の流れとともに変わるものだ。これは、学会でもそうである。いつまでも同じ考えでは、現実に合わなくなることがある」

組織を内から腐らせる「師子身中の虫」は、形式主義、油断、停滞の空気の中で、はびこっていくものである。
反対に、前進の勢い、真剣さのみなぎるところには、悪い人間はいられなくなるものだ。
また、「一番、小利口で臆病な人間はやがて学会から逃げる」とも、戸田先生は言われていた。
「種種御振舞御書」には、こう仰せである。
「邪悪な僧の実態を明らかにする人がいなければ、未来永劫までも、そのまま通ってしまい、仰がれ続けるであろう」(御書924ページ、通解)
悪人を放置すれば、大勢の人々が、長きにわたってだまされ、不幸になってしまう。ゆえに、悪を責めて、その実態を世に知らしめていくべきである。
ヴォーヴナルグというフランスの思想家に、こんな言葉がある。
「悪人は善人に手腕があるのを見てとると、いつも不意を打たれる」(『省察と箴言』内藤濯訳、創元社)
悪人は、放置すればするほど、つけあがっていく。悪人に、断じて、なめられてはならない。
「悪を放置してはならぬ。前へ前へ攻めて出よ!敢然と打ち破っていけ!」
「仏敵を許すな!祈り、打ち勝っていけ!」
これが戸田先生の厳命であった。
悪人には、広宣流布の清浄な世界に指一本たりとも触れさせない! ── この気迫を持っていただきたい。

戸田先生は、覇気のない幹部の姿を見つけると、容赦しなかった。
「何だ! 敗北者みたいな顔をするな! 」と一喝された。
「〝強気の存在〟となれ! そうでなくては、人はついてこない」と言われていた。
ともあれ、大事なのは「行動」である。
役職という位は方便であり、「信心の位」がどうであるかで一生成仏は決まる。
そして、信心は「行動」にあらわれる。
繰り返しになるが、特に男性の幹部は、絶対に女性を怒ってはいけない。
また、女性を最大に尊敬するのはもちろん、広布の庭に送り出してくださる、ご主人はじめご家族の方々にも、最大の真心を尽くしていくべきである。
また、「団結」を呼びかける場合にも、それが、押しつけのようにとられてはいけない。 人には個性がある。桜梅桃李である。
大聖人は「異体」にして「同心」と仰せなのである。
一人一人の意見をよく聞き、仏子として最大に尊敬しながら、「偉大なる団結」を築いていただきたい。皆が喜んで「異体同心」で進めるよう、勝利の名指揮をお願いしたい(大拍手)。

この研修会には、東北の代表が参加してくださっている。
東北といえば、かつて戸田先生と仙台を訪問したことが忘れられない。
1954年(昭和29年)の4月。
私は恩師とともに、新緑輝く青葉城址を訪れた。意気盛んな、東北の青年たちも一緒であった。
幾百年の歴史を見つめてきた青葉城址を仰ぎながら、先生は厳然と叫ばれた。
「学会は、人材をもって城となすのだ。断じて、人材の城を築くのだ!」
あの凛たる声は、今も私の胸奥に響いている。
戸田先生は、「人材の育成」「青年の育成」に全力を注がれた。
「人材は、見つけて、育てるものだ」
「退嬰的、保守的な組織になってはいけない。人材が、どんどん抜擢されるような、生き生きとした組織でなければならぬ。学会は人材で築かれた城なのだ」
これが先生の信念であった。
牧口先生も〝何よりもまず同志の人材を揃えるのが先決間題〟と述べられた。
広宣流布といっても、一切は人で決まる。学会の未来もまた、新しき人材に託す以外にない。
「人間をつくることだ。指導者をつくることだ。 味方をつくることだ。
味方をつくったこと自体が、一切の勝利につながるのだ」 ── 戸田先生は、こうも語っておられた。
人材の育成も、味方を増やす戦いも、その要諦は、人と「会う」ことである。
直接会って、相手のことを知っていく。意見に耳を傾ける。
真剣に、誠実に語っていく。
それでこそ、新たな拡大のうねりを巻き起こしていけるのである。

北陸の友は、はつらつとした対話で、地域に信頼と希望を広げている。これこそ模範だ。
人生の勝負は、最終章で決まる。
たとえ年は取っても、心まで老け込んでしまってはいけない。
「声仏事を為す」(御書708ページ)である。
リーダーは、言葉一つ、返事一つにしても、漫然と発していてはだめだ。自分の心の叫びを、声にしていくのだ。
また、例えば会合の役員の方にはい駆け寄ってお礼を言うとか、ねぎらいの言葉をかけるとか、心を「振る舞い」に表していくことが大切だ。
本当なら、直接、私が全同志にお会いして、一人一人にお礼をしたい。励ましを贈りたい。それが私の思いである。
リーダーは、その心を「わが心』として、大切な創価の同志に接していただきたいのだ。
戸田先生は宗教が広まる要件の一つとして、その宗教を実践する人が「人間的に尊敬される」ことを挙げておられた。創価の連帯が世界190力国・地域に広がったのも、この指導通り実践してきたからだ。
どんなに法が正しくても、人間として立派でなければ、だれにも信用されない。
どうか皆さまは、学会の同志からも、また地域の方々からも、慕われ、尊敬される存在であっていただきたい。

戸田先生は言われていた。
「模範的な信行に励んできた方々は、『仏の使い』として、最大に尊敬し、大事にすることだ」
そうした方々に対し、「いつもありがとうございます」とお礼を言う。お辞儀をする。心からの感謝と敬意をもって接していく。
それでこそ、本物のリーダーである。

10月1日には、青年部の教学試験2級が全国で行われる。
仕事や活動で多忙な中、教学の研鑚に取り組んでおられる方も多いと思う。
本当に尊いことだ。全受験者の皆さまのご健闘を、心からお祈り申し上げたい(大拍手)。
かつて戸田先生は、御書を拝読する姿勢について、「民衆救済の大確信と、燃ゆるがごとき大聖人の情熱が、御書の根底をなしていることを読み取っていきなさい」と指導しておられた。
御書を通して、日蓮大聖人の御精神に肉薄する ── そうした研鑽であっていただきたい。
また先生は、「教学も折伏も、すべて信心が根本だ。この根本から生まれた行学が、また信心を強くする」とも述べておられた。
信行学は一体だ。信心を根本に行学に励んでいくことで、さらに信を深めていくことができるのである。

戸田先生は、歴史上の人物を通し、さまざまなことを教えてくださった。
ある時は、天下を取った徳川家康を通し、こう語っておられた。
「信長、秀吉、家康の3人の中で、果報(福運)は家康が一番もっていた。この果報ばかりは、人間の力ではどうしようもない。だから信心しなければ解決されないのである」
努力や才能だけで、成功できるとは限らない。ましてや幸福になれる保証など、どこにもない。
自身の宿命を転換し、福運をつけていく。努力を全部、生かして、永遠に幸福になっていく ── そのためには信心が絶対に必要なのだ。
また、先生は「大聖人の仏法を『妙法』という。『妙法』とは、人智を超えた力である」と力説しておられた。
先生の確信は、それはそれは、すさまじかった。その大確信に触れて、多くの人々が奮い立った。絶望の淵から立ち上がり、希望に燃えて、幸福への大闘争を開始したのである。
「経験に頼る前に、御本尊に頼れ! まず、祈ることだ。それでこそ、経験も生きてこようというものだ」
これも、戸田先生のご指導である。
御聖訓には、「我が弟子等、試みに法華経に説かれている通り、身命も惜しまず修行して、このたび仏法が真実であるか否か試みてみよ」(御書291ページ、通解)と仰せである。
もし仏法を疑うのであれば、自らこれを試してみなさい。真に仏法を行ずるなら、偉大な功徳があることは絶対に間違いない ── 大聖人は、こう断言しておられるのである。
また、御書には次のように仰せである。
「ただあなたが仏になろうと思うならば、慢心のはたほこ(軍の指揮に用いる旗)を倒し、忿りの杖を捨てて、ひとえに一乗の法華経に帰依しなさい。
名聞名利は今生だけの飾りであり、我慢(=我を傲り他を軽んずる)や偏執は後世の成仏を妨げる足かせである」(463ページ、通解)
慢心や、偏った考えへの執着は、成仏への妨げとなる。大聖人の仰せの通りに、純粋な信心を貫いていくその人が、成仏への直道を歩んでいるのである。

1957年(昭和32年)2月、中部の大発展を心に期しつつ、私は戸田先生に一首を捧げた。

いざや起て
いざや築けと
金の城
中部の堅塁
丈夫勇みて

先生は、即座に返歌を詠んでくださった。

いざや征け
仏の軍は
恐れなく
中部の堅塁
立つは楽しき

中部の友は、嵐のごとき幾多の難を乗り越えてこられた。すべてに勝利してこられた。
先生は言われた。「広布の道とは、険しい山を毎日歩むようなものだ。想像もつかない留難も多くなるだろう。この試練を経なければ、本格派の革命児にはなれない」
試練を勝ち越えて、今、大中部には堂々たる創価の堅塁城がそびえ立っている。
また、「如説修行抄に『いかに強敵重なるとも』と仰せである。この決心なくして、信心のリーダーとはいえない」と。
広布の途上に法難が起こるのは必定である。それと戦わずして、真の指導者とはいえない。
先生は、こうも語られた。
「広宣流布は大地を的とするなるべしとは、大聖人の御金言である。ゆめゆめ、途中で退きたもうな! 日本中、世界中を寂光土にするもしないも、ひとえに創価学会にかかっている」
今、創価の人間主義の運動に、全世界から期待が寄せられる時代に入った。
人類の未来を開きゆくのは我ら! ── この気概で、威風も堂々と進みたい(大拍手)。

御書には「陰徳あれば陽報あり」(1178ページ)とある。
だれも見ていないところで、皆を支える。
学会のために、黙々と働く。その人こそ本当に尊い。
陰徳を積めない人間は偉くなれない。これが多くの人を見てきた私の結論である。
ロシアの文豪ゴーリキーは「人間が残せるものは、行いのみ」と綴った。
大切なのは行動だ。
わが広布の歴史を、どう築き残していくかだ。
戸田先生は厳然と叫ばれた。
「蓮祖の御聖訓である『広宣流布』に戦い続けた人が、菩薩であり、仏である」
また、こうも言われた。
「自分たちの努力で地区をつくり、支部をつくった者が偉いのだ」
できあがった組織の上に乗っかり、あぐらをかくような幹部であってはならない。
不惜身命で戦うのだ。自らの行動で組織を拡大し、わが地域に偉大なる広布の城を築いていくのだ。

私が親交を結んだ一人に、ハーバード大学名誉教授のバーナード・ラウン博士がいる。核戦争防止国際医師会議の共同創設者で、ノーベル平和賞を受賞した博士は、こう述べておられる。
「人に尽くしてこそ生きがいは生まれます。生きがいは一人ではつくれないのです」
味わいのある言葉だ。
わが友の悩みに耳を傾け、励ましを贈る。同志の幸福を真剣に祈っていく。
人々に尽くしゆく学会活動こそ、最高の生きがいが輝く、充実と満足の道なのである。
牧口先生は訴えておられた。
「この実社会でいろいろな面で苦労も喜びもあろうが、人間、後になって悔いのない人生を送らなくてはいけない」
どうか皆さまも、悔いのない、大満足の人生を生き抜いていただきたい。
そのための信心であり、学会活動である。
新しき「広宣流布の夜明け」へ、ともどもに、大胆に、そして朗らかに前進していこう!
どうか、北海道、東北、中部、北陸、信越の各方面に戻られましたら、わが愛する同志の皆さまに、くれぐれもよろしくお伝えください。
きょうは本当にありがとう!(大拍手)