投稿者:ジョーカー   投稿日:2015年 8月10日(月)10時48分15秒     通報
教学部レポートから読み取れることは、執行部の信心のなさ、信心の惰弱さである。この要因は一体何か。それは、三類の強敵との攻防戦を経験していないところにあるのではないかと考えます。前会長は、25年間まったく難がなかったとのことですが、これは法華経を行じる仏法者のリーダーとしてはいかがなものか。信心が惰弱な人間が指揮を執ることは、全軍を誤った方向へ導いてしまう可能性があることを意味する。

本当に折伏を行じると一体どうなるのか。私自身の体験から話をするならば、三類の強敵が競い起こります。一昔前、多くの同級生を折伏していた時期がありました。当時、二人同時に勤行指導をしており、最終的には一人が入信、もう一人が、御本尊流布の直前でキャンセルとなりました。しばらくすると、私の悪評が流れ出しました。その悪評を流していたのが、他ならぬ、入信しなかった友人だったのです。

入信した友人は、その悪評に耐え切れなくなり、「なにを言われようとも学会を辞める」と言い出しました。私は、「辞めるのは自由だが、最後に一週間、毎日一時間唱題を一緒にやってから決めないか」と打診しました。そして一週間後の結論は、「信心続けるよ!」でした。そして現在は、有役職者としてバリバリ活動をしています。ギリギリの攻防戦でしたが、難に遭うことによって信心は強化され、一時は辞めると言っていた人間が反転し、活動家となったのです。

創価学会は難と戦い、打ち破ってきたからこそ発展したのです。そして、それには必ず難に耐えうる人材が必要です。創価学会は今まで1万回以上の迫害に遭ってきましたが、普通の宗教団体であったのなら、数十回も迫害されれば、滅亡もしくは衰退を余儀なくされます。創価学会の99%以上の迫害を受けてきたのは一体だれか。それが三代会長であり、だからこそ指導者の資格があるわけです。迫害なき会長では論外であり、天地雲泥の差があります。

今の創価学会は、まさに迫害を受け切った三代会長の福運によって発展したといっても過言ではありません。そのように捉えてこそ弟子でしょう。一方54年は、その先生の戦いを踏みにじり、難を避けた弟子の振る舞いであったことは痛恨の極みです。そしてそれは今でも続いています。権力の迫害どころか、権力側となった創価学会。中枢が、難と戦う信心を失ってしまうことは恐ろしいことであり、それはいつでも、権力の魔性に喰われる土壌であるということです。

迫害されていた時よりも、黄金の三年間といわれる今が、一番危ないのではないか。今こそ、一人ひとりが「難と戦う信心」というものを意識する必要があるのではないか。池田先生にどれほど守られてきたか、そこに考えをめぐらし、思索していくことが重要ではないでしょうか。

難と戦う信心でなければ、この先の海は渡れない。本門の弟子とは、池田先生に代わって難と矢面に立って戦うということであり、先生もそれを期待していることでしょう。師の時代から弟子の時代への転換点こそが黄金の三年であり、そのためには信心の深化が必要なのです。内部の敵と戦える人材こそが急務であり、それには難と戦う覚悟の信心がなければならないわけです。