投稿者:まなこ   投稿日:2015年 8月 8日(土)12時25分45秒     通報
藤: 次元は違うかもしれませんが、こんな話をある関西の方に教えていただきました。池田先生が関西で指揮を執られて、皆、本当に感動した。その池田先生が戸田先生のこととなると、真剣を抜くというか、粛然たる思いがするほど徹底して仕える態度であられた。戸田先生とは、どれほどすごい人なのかと思った —- というのです。

斉藤: 本門への転換そのものが、「弟子の総立ち」によって扉を開かれたわけです。迹門の流れを思い返してみますと、方便品の諸法実相の説法で、一切衆生に仏性があることが明かされました。それを聞いた弟子たちは、欣喜雀躍して、仏の境涯を目指して菩薩の行動を決意します。「世尊の心が、よくわかりました」と。
ところが本門に入って、弟子たちが滅後の弘教を誓うと、真っ向から拒否されてしまう。今までの教えを、釈尊自らが全部ひっくり返したようなものです。

遠藤: 「せっかく言われた通りに決意したのに —- 」(笑い)と思いかねないですね。

名誉会長: 本門に入って、それまでの教えを根底から覆してまうのだね。迹門で諸法実相や二乗作仏、女人成仏、悪人成仏と、次々に重要な法門が明かされてきた。そして、智慧第一の舎利弗といった、いわば釈尊の最高の弟子たちが、やっとそれらの法門を領解して、授記を許されてきた。
ところが、それらが一瞬のうちに無意味と化してしまう。なぜならば、そうした法門の前提となっている「土台」そのものが崩れてしまうからです。

斉藤: 「開目抄」に「本門にいたりて始成正覚をやぶれば四教の果をやぶる、四教の果をやぶれば四教の因やぶれぬ」(御書 p197)とありますが、釈尊が「始成正覚の仏」という前提で説いてきた、それまでの成仏の因果を自ら否定したということですね。

名誉会長: そうです。「始成正覚」という仏果を否定したということは、それを目指しての仏因も同時に否定したことになる。今まで自分たちの信じていた成仏の因果が否定されてしまった。まさにコペルニクス的転回です。

遠藤: コペルニクスと言えば、天文学における天動説から地動説への転回の時も、人々の“動執生疑”は大変でした。かつて先生がスピーチで、ジョルダーノ・フル-ノ(中世イタリアの思想家)の最後を紹介してくださいました。彼は、コペルニクスの太陽中心説を取り入れ、宇宙の無限性を原理とする新しい世界観を打ち立てようとしました。それは、「地球が宇宙の中心であり、大地が動くはずはない」と思い込んでいた、当時の人々の常識をひっくり返すものでした。

須田: 伝統的な世界観というものが、どれほど人々の意識を縛っていたか計り知れませんね。地動説について「たとえこの説が真理であろうと、私は信じたくない」と言う人も当時いたそうです。

名誉会長: それが多くの人の偽らざる心情だったでしょう。「それを受け入れられない自分が無知と言われるなら、無知のままでいい」とまで人々は思った。今まで自分が信じ、拠り所としていた常識が覆されるというのは、大変な苦痛です。簡単には受け入れられるものではない。
本門で説かれる法門は、それ以上に衝撃的であった。何といっても、本門で初めて仏の三世常住が明かされたのです。ここに、釈尊のそれまでの教えを根本から覆す劇的転回がある。仏陀観の革命なのです。