2015年8月8日 投稿者:KS部OB 投稿日:2015年 8月 8日(土)01時40分21秒 通報 盂蘭盆の意義を語る(2006・8・6) 小説『新・人間革命』の執筆を始めて、今月で14年目に入った。 まもなく、第19巻の連載を開始する予定である(大拍手)。 新しい章の舞台は、昭和49年2月の沖縄から始めたい。 このとき、私は沖縄を訪問したが、行く先々で、劇的に虹がかかった。それは、同志の「歓喜」と「勝利」の象徴となった。 そこで、章のタイトルは「虹の舞」としたい(大拍手)。 沖縄本島はもとより、八重山諸島の石垣島、また宮古島への訪問の歴史も綴る予定である。 敬愛する沖縄の皆さまは今、広宣流布の新たな拡大に、勇敢に、堂々と、大前進されている。 思えば、42年前、小説『人間革命』の執筆を開始したのは、沖縄の地であった。 私は今、健気な沖縄の完全勝利を祈りつつ、筆を執っている。 これからも、一段と、書いて書いて、書き抜いていく決心である。 全同志の勝利のために! 師弟の魂の真髄を残すために!(大拍手) 毎日また毎日、私は、妻とともに、全国、全世界の、亡くなられた尊き全同志、そして、世界中の学会員、また会友・友人のご尊家の先祖代々の追善回向を、懇ろに行わせていただいている。 それが、仏法者としての大きな使命であり、深き責任であるからだ。 まもなく、新暦8月の「盂蘭盆」を迎える。 〈孟蘭盆会、いわゆるお盆は元々、旧暦の7月15日を中心に行われていたが、日本では、月遅れで8月15日を中心に行われることが一般的になった〉 「孟蘭盆」の意義に関しては、「彼岸」とともに、これまでも何度となくスピーチをしてきた。 ただ、新入会の方々も増え、また、お盆の風習のない海外の方からも、歴史や意義について質問が寄せられている。この機会に、あらためて若干、語っておきたい。 日蓮大聖人は、「孟蘭盆」を前に、亡き母を追善する四条金吾に、お手紙を送られた。 「妙法聖霊(=四条金吾の母)は、法華経の行者です。日蓮の檀那です。 どうして餓鬼道に堕ちられることがありましょうか。きっと、釈迦仏、多宝仏、十方の諸仏の御宝前にいらっしゃることでしょう。 (その仏たちが)『これこそ四条金吾のお母さんですよ、お母さんですよ』と、皆、同じ(慈愛の)心で、お母さまの頭をなで、喜び、ほめておられるでしょう。 (お母さまは)『ああ、私は、なんと素晴らしい子をもったことでしょう』と、釈迦仏と語っておられることでしょう」(御書1112ページ、通解) まさしく「生も歓喜」「死もまた歓喜」という、永遠の常楽我浄の大境涯が示されている。 日蓮大聖人に直結する「法華経の行者」として、広宣流布に進みゆく創価の同志は、皆、間違いなく、生命の最極の大歓喜の軌道に入っている。 さらに、自らの信心の功徳は、一家眷属にも伝わっていく。最高無上の追善と孝養の道も、ここにこそある。 そもそも、「孟蘭盆」とは、いったい、何を意味するのか。その言葉の由来については、大きく二つの説がある。 一つは、「倒懸」を意味するサンスクリット語「ウランバナ」を音写したものとする説である。 「倒懸」とは、〝逆さ吊り〟の意味である。餓鬼道の飢えや渇きの苦しみに通ずるところから、この言葉が用いられたという。 「孟蘭盆経」という経典がある。釈尊が直接説いた教えではなく、後世に中国で成立したとされるものである。 そこには、釈尊の弟子である目連が、供養の力で、餓鬼道の苦しみに遭っている亡き母親を助けたことが説かれている。 さらにまた、「孟蘭盆」の言葉の由来としてもう一つの説がある。 それは、「死者の霊魂」を意味するイラン系の言葉「ウルバン」が淵源であるというものだ。 すなわち、この言葉を使うイラン系の民族(ソグド人)が中国に来た際、死者の霊魂を祭る伝統が伝わった。それが、中国の祭日である「中元」などと融合した、という見方である。 旧暦の7月15日は、中国では元来、「中元」と呼ばれ、1年の中間の区切りの日として、半年の無事を祝う日とされてきた。 〈1月15日の「上元」、10月15日の「下元」とともに「三元」という〉また、7月15日は、3カ月間にわたる「夏安居」の最終日にあたっていた。 夏安居とは、夏の雨期のころ、出家者たちが外出せず、一カ所にとどまって修行することをいう。 夏安居が終わる7月15日、インド以来の仏教の習慣として、修行僧は自らの罪を告白して懺悔した。 こうした背景を踏まえ、祖先や死者を追善供養する「孟蘭盆会」が、旧暦の7月15日に持たれるようになったと考えられている。 中国で「孟蘭盆会」が行われるようになったのは、6世紀ごろと言われる。 それが日本にも伝わり、7世紀ごろから孟蘭盆会が催されるようになった。 日本では、仏教がわたってくる以前から、正月や7月などに祖先の魂を祭る行事が行われていたようである。 そのうちの7月の祭りが、中国から仏教とともに伝わってきた「孟蘭盆会」と結びついたとも考えられている。 ともあれ、祖先供養としての孟蘭盆会は、その後も受け継がれ、大聖人の時代には、一般的に行われるようになったのである。 農耕社会であった中国や日本では、四季折々の節目の時に、何らかの祭りや行事が行われることが多い。 それは、先祖や故人に思いを馳せる機会ともなった。 日本で発達した「彼岸会」も同様である。昼と夜の長さが同じになる春分と秋分の日は、農耕のうえで区切りになる日であった。 いずれにせよ、「孟蘭盆会」も、「彼岸会」と同じく、釈尊が説いたものではなく、後世につくられた儀式である。 日蓮大聖人は、祖先や故人を供養し、追善しようとする門下の真心については、大いに認められ、奨励もなされている。 しかし、大聖人は、「孟蘭盆会」や「彼岸会」などを、教義として積極的に取り入れようとは、なされなかった。 すなわち、門下が信心を表す機会とする限りにおいて、一般の慣習を認められているが、それは、あくまでも「随方毘尼」の上から用いられていると拝される。 「随方毘尼」とは、仏法の本義に違わない限り、それぞれの地域の習俗や、時代の風習に従うべきであるという法理である。 御聖訓には仰せである。 「成仏の理に大きく違わないのであれば、とりあえず、一般社会の道理を用いるべきである」(御書1015ページ、通解) 「この戒(=随方毘尼)の心は、甚だしい過ちでないことなら、少々仏教と違うことがあっても、その国の風俗に背くべきではないということである」(御書1202ページ、通解) 世界宗教として、「末法万年尽未来際」へ、永遠に行き詰まりのない広々とした大道を、大聖人は開き残してくださったのである。 先ほども触れたが、釈尊滅後に成立したとされる「孟蘭盆経」では、供養によって、目連が母を救ったと書かれている。 この内容を、堕落した既成仏教は都合よく悪用し、信徒からの供養の収奪を重ねてきた。 これに対し、仏法に暗い坊主たちを痛烈に弾呵し、真の追善供養の本義を、厳然と示してくださったのが、日蓮大聖人であられる。 大聖人は仰せになられた。 ── 目連ほどの聖者であっても、母を救えなかったのは、低次元の教えに執着していたからである。 その目連が法華経に帰依し、妙法を唱え、自ら成仏したときに、初めて父母もまた成仏することができた 。 ── (同1429ページ、趣意)。 「成仏」を決定づけるのは、正しき法を正しく実践するかどうかである。 低い教えでは、生きている人間でさえ、成仏できない。いわんや、故人を成仏させることなど、とうてい、できようはずがない。 大聖人は、こう断言なされている。 「自身が仏に成らなくては、父母さえ救うことは難しい。ましてや、他人を救うことなどできない」(同ページ、通解) 大聖人は、仏法の勝劣を知らない愚かな坊主たちが大勢集まって祈祷したとしても、追善供養などにならないことを、徹底的に糾弾されている。 「今の僧たちは、二百五十戒とは名ばかりで、持戒ということに、ことよせて、人をたぶらかし、一分の神通力もない。大石が天に昇ろうとしてもできないようなものである。 (それらの僧の)智慧が劣っていることは、牛や羊のようであり、たとえ千万人を集めたとしても、父母の一つの苦しみをも救うことができるであろうか。いな、できはしない」(同1428ページ、通解) ここに、大聖人の偉大なる「宗教革命」の師子吼を拝することができる。 真実の宗教に背く、ずる賢い坊主が拝んでも、成仏するということは、絶対にありえない。断じて、だまされてはいけないと、厳しく戒めておられたのである。 この点、戸田先生は、痛快に言い放たれていた。 「世間では、盆とは、先祖を苦しめて、坊主が金を儲ける行事だ」 「今の坊主をよく見よ、お盆回りに、眼の色を変えてる坊主どもを見よ」 「仏法を売る者を、禿人という。世の中で一番悪い害虫は坊主ではないか」 さらに、戸田先生は、こうも論じられた。 「日本人の多くは仏教の各宗派に属していて、先祖伝来の墓を守り、盆や彼岸にはそこへ参詣して、僧侶に供物でもあげたり、墓の掃除をすることなどが宗教であると考えている者が多い。 現代の腐敗した寺院の僧侶たちは喜ぶにちがいないが、これでは、釈尊の真意はまったく没却されてしまったのである。 もしこれが宗教であるならば、十二因縁、六波羅蜜、三種の教相などという哲学や修行は、まったく必要がなかったのである」 人々を惑わし、誑かしてきた「葬式仏教」への胸のすくような破折であった。 御義口伝には、「今、日蓮と、その弟子たちが、亡くなられた聖霊を追善し、法華経を読誦し、南無妙法蓮華経と唱えるとき、題目の光が無間地獄にまで至って、即身成仏させる」(同712ページ、通解)と仰せである。 ただ「題目」こそが、無間地獄に堕ちた衆生にまでも回らし向けることができる、真の追善回向の法なのである。 妙法は、十界・三千世間を貫き、さらに生死を貫く、真の普遍にして永遠不滅なる大法則だからである。 ゆえに、私たちが題目を唱え、題目を広めることに勝る追善供養は、絶対にない。 広宣流布に戦う人生こそが、亡き家族への究極の回向となっていることを、晴れ晴れと大確信していくことだ。 「孟蘭盆御書」の有名な一節には、こうも仰せである。 「悪の中の大悪は、その報いの苦しみを、わが身に受けるだけでなく、子と孫と末代に七代までもかかるのである。 善の中の大善もまた同じである。目連尊者が法華経を信じられた大善は、目連尊者自身が仏になっただけでなく、目連尊者の父母も仏になられたのである。 また上七代、下七代、上無量生、下無量生の父母たちまでも、思いがけなく成仏されたのである。 さらには、子息、夫妻、従者、檀那、無量の衆生が三悪道を離れただけでなく、皆、ことごとく(菩薩の修行の中で最初の不退の位である)初住の位に昇り、また(極果)である)妙覚の仏となったのである」(同1430ページ、通解) 広宣流布という「善の中の大善」に生き抜く功徳が、どれほど無量無辺であるか。 一人の成仏が、万人の成仏を開く。 一人の勝利が、万人の勝利を開く。 自分自身が生き生きと「行学の二道」に励んでいく生命の波動は、時間・空間を超え、限りなく広がっていくのである。 法華経に照らし、御書に照らして、学会員の皆さま方こそ、最も深く追善供養を行じ、一家眷属に、無量の福徳と威光勢力を送っていることは、絶対に間違いない。 また日蓮大聖人の仏法においては、朝晩の勤行が常に追善回向の機会であり、毎日の勤行が盆であり彼岸であるという「常盆」「常彼岸」が本義となる。 その意義からいえば、「彼岸会」や「孟蘭盆会」など、特別の追善の機会は、本質的には必要ではない。 しかしながら、それぞれの社会や時代の慣習に鑑みながらへ特別の機会を定めることが、追善回向の心を起こさせ、信心に目覚めさせる契機ともなる。 ゆえに、それらを用いるか否かは「随方毘尼」に即して決めていけばよい。 日本の夏のお盆休みは、実家や親戚、また懐かしい旧友などと交流を深める機会として、深く暮らしに根づいているといってよいだろう。 わびしき日顕宗とは対照的に、学会の墓地公園や会館には、大勢のご家族がすがすがしく集われ、墓参や法要を営まれていることは、皆さまもご存じの通りである。 この席を借りて、暑いなか、お世話になる全国の墓園の関係者、また役員の方々に、心から感謝を申し上げたい。 健康第一で、無事故の運営を、どうかよろしくお願いします!(大拍手) 〈孟蘭盆については、編集部でまとめる際、『目連伝説と孟蘭盆』(岩本裕著、法蔵館)などを参照した〉 月遅れのお盆は、8月15日の「終戦記念日」とも重なる。 毎年、私は、すべての戦没者の追善回向を、真剣に行わせていただいている。 私の長兄も、ビルマで戦死した。 広島、長崎の原爆の犠牲者の方々、沖縄の犠牲者の方々、さらにアジア、そして、世界の戦争の全犠牲者の方々に、私は一生懸命に題目を送り続けている。 創価の平和の連帯には、アジアの多くの知性も深い信頼を寄せてくださっている。 本年3月、私への「名誉人文学博士号」の授章のため来日し、創価学園の卒業式に出席してくださった、フィリピン国立パンパンガ農業大学のバタッド学長の言葉が忘れられない。 それは、「戦争で辛酸を嘗めた祖父(=戦争中に同大学の学長を務めた)が、もし生きていれば、『平和提言』を読み、池田会長とぜひとも対話をしたいと切望したのではないか。 そして、池田会長と対話をする機会があったなら、おそらく、『戦前の、20世紀の早い時期に、創価一貫教育が誕生していたならば、第2次世界大戦は起こらなかったのではないか』と、語ったのではないか、と私は確信しております」というものである(『灯台』6月号)。 学長の祖父君は、あの野蛮な日本軍による「バターン死の行進」で苦しめられた。祖父君の弟は命を奪われた。 そのような悲劇を振り返り、学長は、こう語ってくださっている。 「あらゆる戦争に勝者はいません。全員が敗者です。したがって、戦争自体が間違っています。 残念ながら、フィリピン南部では、今も、キリスト教徒とイスラム教徒の間の紛争が続いています。中東をはじめ、世界各地でも紛争は未解決のままです。 だからこそ、正しい価値観を伝えていくSGI(創価学会インタナショナル)の運動が、全世界の人々の間に広がっていかなければならないのです」(同) 仏法は、恩が根本である。恩を忘れた人間が、真に人間らしく生きることはできない。 また、恩や信義を忘れ果てた社会は、絶対に幸福な社会にならない。 仏法者の眼から見れば、恩というものを知らないがゆえに、どれほど多くの戦争が起こっていることか。 恩知らずの振る舞いが、結果的に悲惨な争いを引き起こす。 恩を知る。そして恩を報ずる ── この知恩・報恩の道こそ、幸福の道である。平和の道である。 ゆえに、恩を忘れ、人間社会を乱す「不知恩の輩」とは、人間として、仏法者として、決然と戦わなければならないのである。 日ごろからバタッド学長が強調されているのは、青年と青年の交流である。青年の交流こそが、相互理解と平和への大いなる推進力となるからだ。 今夏の青年部・教育部の訪中団も、新たな友好の歴史を刻んだ。 創価の運動に、世界から全幅の信頼が寄せられる時代に入った。 戸田先生が、どれほど喜ばれ、満面の笑みを浮かべておられることか。 そして、その戸田先生を見つめて、牧口先生が、どれほど、お喜びになられていることか。 牧口先生は、言われていた。 「現在が栄えていればこそ、先人が偉大になるのである。 今が栄えていなければ、先人の偉大さも光彩がなくなるのである」 すべてが弟子で決まる。 弟子の勝利が、師匠の勝利である。 仏法の真髄は、師弟の道である。師への報恩の道である。 戸田先生とお会いした夏から、60回目の8月を迎えた。 私は、世界190力国・地域の同志とともに、高らかに創価の師弟の勝鬨をあげたい(大拍手)。 先にも触れたが、日蓮大聖人は、「孟蘭盆」の由来について、餓鬼道に堕ちた親を救うところにある、と述べておられる(御書1111ページ)。 「貪るは餓鬼」(同241ページ)である。御書には、餓鬼の本質が抉り出されている。 大聖人は、「食法餓鬼」について鋭く指摘されている。 「食法餓鬼という餓鬼は、出家の身となって仏法を弘める者のうちで、自分が法を説けば人は尊敬するなどと思い、名聞名利の心をもって、人よりも勝れようと思って、今生をわたり、衆生を助けず、父母を救おうという心もない者を、食法餓鬼といって、法を食いものにする餓鬼というのである」(同1111ページ、通解) まさに、邪宗門の坊主の卑劣な姿そのものである。 戸田先生は、「餓鬼道に堕ちてまで、金をためる必要はない」とも言われていた。 大聖人は、退転・反逆者の本性を、「よく(欲)ふかく」(同1539ページ)と喝破された。 学会の大恩を受けながら、自分や一族のみの名聞名利しか考えず、悪辣に私腹を肥やし、恩返しをしようともしない。 そして、同志を裏切り、学会に弓を引く ── そういう人間は、厳粛な仏法の鏡に照らせば、ことごとく、欲深き食法餓鬼であり、法盗人なのである。 狡猾に立ち回って、かりに世間の法や国法の追及を免れたとしても、厳しき生命の因果は、絶対に逃れることはできない。 仏法の世界は、あまりにも厳正であり、峻厳である。 戸田先生は、訴えられた。 「もっともけしからんものがある。それは、学会を喰い物にする者である」 「信心無き輩には断固鉄槌が下るであろう」 「学会のおかげで偉くしてもらいながら、その恩を忘れ、学会員をばかにし、私利私欲のために学会を利用する。 こうした悪い人間は、絶対に広宣流布の本陣の中に入れてはならない。 悪い人間は、断固、叩き出すことだ」 永遠に忘れてはならない、恩師の遺言である。 万が一にも、そうした悪党をのさばらせてしまえば、清浄無比なる学会の和合僧が毒され、撹乱されてしまう。 ゆえに、鋭く見破り、責め抜いていかねばならない。 これまで見てきたように、孟蘭盆が成立していった背景には、仏教が次第に本来の精神を失い、「形骸化」「僧の特権化」の方向へ傾いていった歴史があるといえる。 贅沢な権威の伽藍を構えたり、〝坊主が祈らなければ、成仏できない〟などとするのは、釈尊の精神にも違背し、仏法の本義に反する邪義である。 そもそも、釈尊の時代には、葬儀は在俗信者によって行われ、僧は介入しないのが原則であった。 釈尊自身も、自らの葬儀について、弟子たちが関わることを禁じた。 実際に、釈尊の葬儀は在家信者によって執り行われた。 また、日蓮大聖人が信徒の葬儀を行われた例は、御書に一つも記されていない。 信徒の死後、戒名を与えたという例も、まったくない。 私たちは、この釈尊、大聖人の御精神に直結して、葬儀や追善回向についても、万人が納得できるかたちで、画期的な意識改革を、大きく進めているのである。 お陰さまで、学会の友人葬も、深く広く定着してきた。多くの共感の声が、外部の識者からも寄せられている。 尊き儀典部の皆さま方に、心より御礼を申し上げたい(大拍手)。 「愛別離苦」 ── 愛する人との別れは、避けがたい人生の悲しみである。 とりわけ、子に先立たれた親の悲しみほど、深いものはない。 大聖人の御在世当時、子を失った夫妻がいた(松野六郎左衛門尉夫妻)。 しかし夫妻は、悲しみから立ち上がり、わが子の死を契機に、深く信心に励んでいった。 そのけなげな夫妻を讃えて大聖人は、渾身の励ましを綴っておられる。 「ひとえに釈迦仏が、あなた方の身に入り替わられたのでしょうか。また、亡くなられたご子息が仏になられて、父母を仏道に導くために、あなた方の心に入り替わられたのでしょうか」 「あなた方に、もしものことがあるならば、暗い闇夜に月が出るように、妙法蓮華経の五字が月となって現れ、あなた方の行く手を照らすでしょう。 そして、その月の中には、釈迦仏・十方の諸仏はもとより、先立たれたご子息も現れて、あなた方を導いていかれることを確信してください」(御書1397ページ、通解) 妙法で結ばれた家族は、生死を超えて一緒である。わが胸に脈動する仏の生命のなかに、亡き家族の生命も一体となって融合している。 三世永遠に「常楽我浄の旅」を、共々に福徳の月光に照らされながら、希望へ希望へ、勝利へ勝利へと、必ず前進していくことができるのである。 かつて私が対談集を発刊した、故ブライアン・ウィルソン博士は世界的な宗教社会学者であられた。 現代西洋社会と調和したSGIの魅力について、「寺院制度から解放された在家団体」であり、「生活に根ざした理念」を持っていることを強調されていた。 また、対談を重ねてきた、ハーバード大学教授で著名な文化人類学者のヌール・ヤーマン博士は、こう讃えてくださっている。 「学会の革新性は、僧侶ではなく一般の人々が、仏教の英知を実生活に生かしているところにあります。 僧侶というものは、自らの宗教の〝独自性〟ばかりを強調します。 しかし、現実に生きる人々は、それを生活の〝倫理〟として普遍化していきます。そして、その普遍化された倫理が、宗教や文化が異なる人々をも啓発していくことができるのです」 私たちの前進を、まことに深い観点から見つめてくださっている。 〈ヤーマン博士は、続けてこう語っている。 「その倫理性の模範を示すのが、池田SGI会長であります。 池田会長は、世界の識者との対談を通し、世界の人々に啓発を与えておられます。それは世界への偉大なる貢献なのです」〉 ともあれ、これからは、今まで以上に、「権力のための宗教利用」の蠢動を厳格に見破る、「民衆の力」「民衆の智慧」が求められる時代となっていく。 それが世界の潮流である。 私たちは、この宗教改革と平和創造の最先端を、広々とした心で、聡明に、また快活に進んでまいりたい。 まだまだ暑い日が続く。どうか体調にくれぐれも気をつけながら、有意義な「友好の夏」「対話の夏」「一歩成長の夏」にしていっていただきたい(大拍手)。 Tweet