投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2015年 1月16日(金)08時45分51秒  

大聖人がこの法門を説くことで自身に迫害が起こることは初めからわかりきっていました。
しかしその逡巡を突き破ったものは、悪世末法に生きる民衆の同苦であり、民衆を救いきろうとする「大誓願」でした。そして、自身滅後の人々のために残したのが「漫荼羅本尊」だったのです。

そこには法華経(南無妙法蓮華経)を体現した日蓮大聖人の姿が表示されています。
また、大聖人が法華経の「功徳と罰」の表示として語った「鬼子母神・十羅刹女」が配されています。さらに重ねて、十羅刹女の誓願の言葉である「頭破作七分」の文や、
功徳の標示として「法華文句記」巻四下の「福過十号」の文が記された本尊も少なくありません。

漫荼羅本尊を信仰の根本としてきた日興・富士門流では、
書写本尊に「頭破作七分」「福過十号」の文を不可欠としてきたことは、
大聖人の「功徳・罰」の捉え方からいって信仰上、ごく自然なことだと思います。
「功徳・罰」の強調は、大聖人の慈悲の現れであり表現です。

まさに日蓮大聖人滅後においては、生前の大聖人においてそうであったように、
今度はこの「漫荼羅本尊」を縁として「功徳と罰」が語られ、反発と信仰が形成されていくことになるのです。後は私たち弟子が、それを忍耐強く進めていけるかどうかに
大聖人の目指した「広宣流布」の実現があるのだと思います。

「日蓮が慈悲曠大ならば、南無妙法蓮華経は万年の外、未来までもながるべし。
日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり、無間地獄の道をふさぎぬ」(三二九頁)という一節は、
日蓮大聖人の絶叫にも似た大慈悲の決意であり、恩師に捧げた誓願(師弟不二)の誠だと確信します。

最後に、池田先生が「広宣流布記念の日」に、若き友に贈った「青は藍よりも青し」の一節を抜粋して終ります。

日本に仏教伝来し 七百年にして

太陽の如く 大聖哲出ず

それより七百年して 不思議なる会生まれる

正法の広宣の波は 今ここに西漸

アジアの そして世界の海辺を洗い始む

今まさに 妙法という

生命至上の 大なる光明は

青き地球を 包みゆかんとするか

その広布の 大河の流れが

歴史の必然であるか否かを

君よ 問うなかれ

汝自身の胸中に

自らの汗と労苦により

広布を必然たらしめんとする

情熱のありや無しやを 常に問え

合掌 桂冠詩人 一九八八年三月九日。

      ― 完 ―