投稿者:ジョーカー   投稿日:2015年 7月14日(火)08時26分4秒     通報
魔王が喜ぶことは、「知らない」「考えない」「関心がない」ことである。反対に、「知る」「考える」「関心を持つ」ことに嫌悪感を示す。なぜならば、それをされると正体がバレてしまうからだ。
悪との闘争においては、現場が強く賢くなることが必須条件であるが、そのためには、この三つが必要なのである。そして、情報化社会である現代において、それは可能であり、いくらでも情報を手に入れることができる時代であるにも関わらず、「知らない」「考えない」「関心がない」というのは、ただの怠慢でしかない。一会員ならまだしも、リーダーであるのならば、今までで良しとする意識は、改める必要があると思うがどうだろうか。

教義変更にしろ安保法制にしろ、どれだけの活動家が関心を持っているというのか。関心がなければ、一方の情報のみでよしとし、反対意見や中立意見等は耳に入らなくなる。それは考えているとは言わず、短絡的な思考に陥りやすく、魔王にとっては思うツボである。情報を得られない20世紀ならまだしも、意識すればいくらでも情報を得られる21世紀においては、それは許されないのではないか。知ることは労力が必要であり、考えることもまたエネルギーを使います。誰かが決めた方針に合わせ、従っているのは楽ですが、しかしリーダーがそのレベルだと結果的に会員が苦しむことになります。

少子化によって、会員数が減少するのは当たり前ですが、同時に活動家も減少することを意味します。今まで通りの在り方ではジリ貧であり、発展することはできません。だからこそ先生は、「発迹顕本を頼む」と言われているのではないでしょうか。そのためには、リーダーが「知る」「考える」「関心を持つ」ことであり、それができてこそ、様々な意見に耳を傾けることができるようになる。「知らない」「考えない」「関心がない」では、結果ありきの一方的な出来レースとなってしまい、人の心は離れます。

創価学会の会内民主主義が成熟していないのも、リーダーが「知る」「考える」「関心を持つ」ことがまだまだ希薄だからである。これではアンテナの感度が鈍りすぎているので、人の心が見えなくなる。リーダーは「言っても無駄」と思わせただけで敗北である。そしてその根底にあるのは、「怠慢」なのである。