投稿者:解説者   投稿日:2015年 7月 7日(火)12時37分30秒     通報
随筆 新・人間革命2(池田大作全集130巻)
「7・17」の誓い (1999年7月14日SP)

この日の夕刻には、堂島川を挟んで、大阪地検のある対岸に建つ、中之島の中央公会堂で、行われることになっていた。
大阪府警、ならびに大阪地検への抗議集会である。 私は、東京から来られる戸田先生を、お迎えするために、直ちに空港に向かった。七月三日以来、二週間ぶりにお会いした先生は、さらに憔悴(しょうすい)しておられ、先生は、にっこりとしていわれた。「戦いはこれからだよ。御本尊は、すべてわかっていらっしゃる。勝負は裁判だ。裁判長はかならずわかるはずだ」

未来を予見されたかのような、確信に満ち満ちた言葉であった。
一方、この日の夕刊は、小さな記事で、大阪地検が私を「処分未定のまま釈放した。」とし、「同地検では、基礎は起訴はまぬがれないとみている」と伝えていた。
赤煉瓦と青銅屋根の、堂々たる中之島の公会堂では、大阪大会が始まろうとしていた。
「罪もない池田室長を、牢獄につないだ権力が憎い!」
「絶対に許さない!」

会場は、義憤に燃えた同志で埋まり、場外にも一万数千人があふれた。
皆、私とともに立ち、ともに泣き、ともに笑い、生涯、私とともに戦い抜こうと決意された真実の同志である。

午後六時開会。しばらくすると、晴れていた空が一転、黒雲に覆われ、豪雨となった。稲妻が走り、雷鳴が轟いた。
横暴な権力への、諸天の怒りだ!……と、誰もが自然のうちに感じ取っていた。
会場周囲にいた警察官は、いち早く退避し、雨をしのいでいたが、同志は、ずぶ濡れになりながら、スピーカーから流れる声に耳を傾けていた。
場内は熱気で包まれていた。
壇上にあって私は、お痩せになられた先生の背中を見つめつつ、早くまたお元気になっていただきたいと、ただただ心で祈った。
登壇した私は、短く訴えた。
「最後は、信心しきったものが、大御本尊様を受持しきったものが、また、正しい仏法が、かならず勝つという信念で戦いましょう!」 実は、出所したばかりでもあり、戸田先生が「挨拶は、簡単に一言だけにした方がいい」と囁いてくださったのだ。

「戦いは、負けてはならない。絶対に負けてはならない!」

この日からそれが関西の合言葉となり、今日まで伝統となってきたことは、知る人ぞ知るのである。
そして、この「七月十七日」を“不敗の原点”の日として、関西は、誉れ高き「常勝関西」へと、断固として生まれ変わった。