投稿者:信濃町の人びと   投稿日:2015年 7月 2日(木)22時06分44秒     通報 編集済 仏法上の戦い。私はそこは否定していないですよ。 意が理解されていないので確認ですが。 外部は敵ではないし、あのブログ内容を見れば学会を潰す内容だと思えないですで、そちらの立場に理解が出来ると言っているにすぎません。また、これをきっかけに今後対話をしていけば良いのであって、そこも粛々とやりたいだけです。 届出のあるデモは正当な手段です。抗議集会も正当な手段です。私はデモ参加は個人の自由であり、呼びかけも自由。 参加しないの自由だと言っています。 個人が自立し判断していくことが、今後は大切であり 一貫してこのような活動をしようとかの、上から目線の指示出しは掲示板の趣旨に合わないし、第一、これからの学会は師匠の教えを各自がどう体現するのかが問われていると問題意識を持っています。 池田先生が姿を隠したのは、仏法に説く方便現涅槃の原理なのだろうと、2010年6月から考えてきました。 これから学会員ひとりひとりが問われていくのはそこではないでしょうか。 先生が最高幹部らに、師匠のために勝ちますと言いなさい。 2008年以降は何度も繰り返し指導されていました。 師匠に守られるのではなく、自ら道を切り開く信仰に立たなければならないのだと思います。 結局、自分ができる範囲のことをするしかないのです。 そこも、今出来ることの項目を9つあげました。 ですから粛々と反対と呼びかけているのです。 その上で、政権与党である公明党を批判することは、憲法に保障された表現の自由の範疇であることを確認の意味で言っています。 自分に受け入れられるかではなく、道理として間違いではないということを言っているに過ぎないのです。 ボォルテールは、 「私はあなたの意見には反対だ。 だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る。」 反対意見を表明する側の立場を確保することが、民主主義の根幹であり、基本的人権の柱です。 無節操な批判は許されませんが、憲法21条に保障された集会結社の自由です。法に保障された正当な手段ではないでしょうか。 これを否定してしまうと、学会員の公明党支援のための集会すらも否定されますよ。 正当な反対意見を受け入れる度量の無さが今の学会組織や日本社会の根底を揺るがしているのだと私は思います。 民主主義が絶対ではありませんし、仏法の眼から見れば小さな話しかもしれませんが。 歴史的には、学会だって炭労の不当な弾圧に対してデモ行進をしています。 また、悪質週刊誌に対して5万人の青年部抗議集会をやっています。 聖教の多部数購読を正すなどの学会内組織のこととは 問題が違うし学会内組織のことは、学会内でやればよいのはその通りです。 今問題なのは、憲法解釈を時の内閣が変えた。 これは社会悪です。 自衛に関する憲法解釈はガラス細工の積み上げで構築してきた論理です。 その経緯は戦争に対する日本人の真摯な反省があったからです。戦争の悲惨さを味わった日本の苦難の歴史があればです。 そこを政治権力は慎重に扱わなければならない。 本来、生命の尊厳を知る公明党がそこを担っていかなければならないのです。歯がゆい思いを皆様がされているところはそこでしょう。 ※大勝利様の言われる届出のあるデモだと言うことが前提です。道路使用許可もあるので大規模なデモや集会は届出無しだとは思いませんが、参加される場合は主催者に確認されることをお勧めします。