投稿者:色身不二   投稿日:2015年 6月25日(木)14時10分9秒     通報
第2回滝山祭創立者講演「スコラ哲学と現代文明」を読む (森幸雄 氏) より抜粋

— オウム事件では、ある意味でもっとも高い理性の教育を受けた人が、
いとも簡単に流されてしまった。
人を殺すのは悪いという、普通の感覚を持てなくなってしまっている。

これは、信仰という形で与えられたものには無条件に従ってしまい、
それを批判的に受けとってはならないという前提があるからだといえます。

この結果、非常に堕落した宗教の出現を許すことになるし、
批判的に宗教をとらえることをしないのは理性の怠慢といわざるを得ません。

創価大学でも、理性的な批判が非難として受けとられ冷たい目で
見られてしまうと思う学生の方もいるかもしれません。

しかしながら、この講演の前年の1972年の第1回滝山祭で、
創立者は次のようにいわれています。
「そこで私が申しあげたいのは、創価大学に対しても、創立者に対しても、
批判をしてはいけないということは一つもありません。
いくらでも批判してけっこうです。

また、私はご存じのように創価学会の会長であります。
創価学会に対しても、信仰についてもいくらでも批判しても結構です。
大学としても、学会としても、また私としても、
反省すべきことは反省しなくてはならないし、
改めるべき点はいさぎよく改めねばならない。

諸君が創価大学に学んでいるのだから大学のことをはじめ、
すべてに対して厳しい発言ができないなどという考えは、誤りである。

皆さんが真剣に物事を思索し、言いたいことがあれば、何を言ってもよいし、
いかなることを論じてもよい」
(p.42 創価大学学生自治会編『創立者の語らい1』1995年 ) –
創立者の明確な許可文証はここにある。

現創価学会執行部(公明党)が堕落した宗教化した今こそ、
真の弟子が声を上げる時です。

破邪顕正の祈りと明文を片手に、共々に理性的な批判の大波で浄化を!