投稿者:まなこ   投稿日:2015年 6月24日(水)16時01分57秒     通報
斉藤: アインシュタインによって、物質はエネルギーが一時的に安定したものであることが分かりました。「物質・エネルギー不二」理論です。不二でありながら、必ずどちらかの形態をとる。不ニであり而二です。
またエネルギーは「質量×光速度×光速度」に等しいことも分かりました(E=mc2)。光速度(c)は秒速三十万キロメートルですから、わずかな質量(m)の物体から膨大なエネルギー(E)が出ることになります。

遠藤: それが後に、原子爆弾の開発に応用された —- 。

名誉会長: それは、アインシュタインの理論が独り歩きし、その理論が示唆していた“こと”中心の世界観が人々に理解されなかった悲劇と言えるのではないだろうか。
世界は限りなき「関係の織物」である —- この見方が、物質にも生命にも人間にも徹底すれば、戸田先生が言われたように、一切はひとつの大いなる生命であり如来であると見ることができる。そして、それが自己自身の実相であるとも見ることができる。
原子爆弾のような破壊と分断のためにだけあるような兵器は、実相を覆う無明の産物にすぎない。元品の無明は第六天の魔王と現れる。戸田先生は、原子爆弾を使用する者は、誰であれ、悪魔であり、サタンであると宣言された。そこには、この尊き生命を破壊するものに対する、五体をうち震わせての、すさまじい怒りが込められていたのです。
ともあれ、“もの”から“こと”へという科学革命は、人類の思想を根底から変える衝撃力をもっていた。
それは、一次元から言えば、分析知が行きつくところまで行った結果、分析知ではとらえきれない広大な世界を垣間見たと言えるかもしれない。
そこからアインシュタインや、ハイゼンベルクらは、物理学的真理がその一部であるような、より大きな全体、究極の実相について思索をめぐらしたのではないだろうか。

須田: 分析知は、近代科学の強力な武器でした。現象を観測しやすいように、物質を細かく分割したり、実際の複雑な現象を単純化することによって自然界の法則を発見してきました。その際、現象を単純化したり、要素ごとに分割するということで、他の面を切り捨てるという傾向があるわけです。いわば、関係し合いながら変化する諸法(現象)に即して実相を見るのではなく、諸法(現象)をあえて固定化したり、諸法の一部を切り取り、そこから抽出された法則を真理としたわけです。

遠藤: 最近では、そのような科学の在り方に対して、科学の内部から反省が出ているようです。その一つは、分析によって知り得た知識は自然界のほんの一部にすぎないという認識です。
科学の世界では、どんなに分析を重ねても、将来の現象を予測できないことが、しばしは見られます。関係者の方には申し訳ないのですが、天気予報などはその典型で、なかでも長期予報などは「外れるのが当たり前」になっています(笑い)。
長期的な気象は、あまりにも多くの要素が複雑にからみ合って変化するので、従来の分析的なやり方では探究できないのです。

斉藤: 最近言われている「複雑性の科学」という考え方も、新しい潮流の現れですね。これまでの科学が、さまざまな現象の複雑性を取り除いて単純化することで明晰な認識を得ようとしたのに対し、「複雑性の科学」というのは、現象の複雑性をあえて切り捨てることなく、そのまま受け止めようとするものです。
現在、有名なのは米国ニューメキシコ州にあるサンタフェ研究所で、従来の生物学、数学、物理学などの学問領域の枠を取り払って、現象を総合的にとらえようとする研究システムをとっています。

須田: 天候のほか、生態系、脳などは、数学的な解析やシミュレーションを寄せつけない複雑なシステムの代表例です。
なぜ、こうした自然現象では、単純性の科学が通用しないか。一つは、小さな変化が劇的に大きな変化を生み出すからだとされています。いわゆる“バタフライ(蝶)効果”です。すなわち、アマゾンの熱帯雨林で一匹の蝶が羽をパタパタさせると、それが次々に連鎖的に物事を引き起こし、ついには地球規模の気象の変化が起きるというものです。

遠藤: 「風が吹けば桶屋がもうかる」(爆笑)

名誉会長: そう。庶民の知恵は、たくまずして「すべてが関係している」という実相を突いているね。

須田: はい。しかも蝶が翌日、羽ばたいても、何ら天候に影響を与えないかもしれない。この不確実性が「複雑性の科学」の特徴の一つでしょう。
また、単純性の科学と複雑性の科学の違いは、コンピューターと人間の脳の能力の違いにもよく表れていると思います。コンピューターは単純な計算処理や記憶などは得意ですが、ちょっとしたエラーがデータに紛れ込んでいると、とたんにその能力は発揮できなくなります。
一方、人間の脳は、単純な計算や単純な情報を多量に記憶することなどには向いていませんが、少々のエラーが出ても対応できる柔軟性があり、多様な情報のなかから、必要な情報を瞬時に取り出せる能力ももっています。どんな有能なコンピューターに将棋をさせても、ちょっとしたアマチュアにも負けてしまうことがあります。

名誉会長: なるほど。ちょっと概観しただけでも、現代の科学が、法華経の諸法実相と調和してきていることが分かるね。大切なことは、こうした志向性を「一人の人間の限りない尊貴さ」の認識へと、リードしていくことです。

斉藤: 人間を無気力にさせる科学でなく、人間に勇気を与える科学であってほしいですね。

名誉会長: そう。学問は人間に希望を与えなければならない。そうでなくて何のための知性か。
そのことで思い起こすのは、中国の厦門大学の「平民学校」での魯迅の講演です。