投稿者:ジョーカー   投稿日:2015年 6月22日(月)23時46分58秒     通報
・うらら様
>仏法の寛容の精神は時として、権力者の堕落を受け入れる。それは日蓮仏法の怨敵なのではないでしょうか。

その通りです。なんでもかんでも寛容の精神を発揮することが、仏法の在り方ではありません。悪に寛容は無慈悲であり、むしろ不寛容でなければならない。ここをはき違えると、「法華経を讃嘆しているが、かえって法華経の心を死(ころ)す」という状態に陥る。ここは要注意する必要があります。

師弟の宝冠VOL.6より
「悪人はずるい。悪は悪を呼ぶ。その悪を見て見ぬふりをする人間も、ずるい。悪に対して、黙っていてはいけない。戦わなければならない。」

先生の指導は明確です。悪に対しては「戦え」であり、不寛容です。寛容であるべきところと不寛容であるべきところを見極めていかなくてはなりません。その見極める眼が仏眼であり、智慧です。

さて、教学部レポートと遠藤文書は事実であるということが明らかになってきました。事実であることを前提で話を進めますが、そうなると執行部は師敵対であり、振る舞いそのものも、「会長が上、会員が下」を体現した一方的な姿勢となっています。これでは「悪」と断じられても仕方がないでしょう。
それでも、執行部には執行部なりの言い分はあるでしょうから、その言い分と照らし合わせてバランス調整する必要があると思います。まもる様の投稿に、「秋谷さんでいえば、足を引きずりながら、本部に毎日向かっています。」とありましたので、ひょっとしたら、コアな情報を入手できるポジションにいる方なのかもしれませんので、期待しています。