投稿者:ジョーカー   投稿日:2015年 6月20日(土)21時55分0秒     通報 編集済
・+ドライバー様
>いつも、ハッと気付かさせて頂く明快な指導

指導などという大それたものではありません。創価学会は指導主義ではありますが、ネットにおいては誰もが平等であり、上下関係もありません。当然、役職や年齢等も一切関係はなく対等です。故に、どのような発言であろうと、あくまでも一意見であり、一考察です。それをどのようにとらえ、活用していくかは読み手の完全なる自由です。よって、指導でも教授でもどちらでもないのがネットの特性であり、役割といえましょう。ネットは位置づけ的に「創価学会番外編」であり、~主義にとらわれる必要はありませんし、大事なことは「いろいろな角度の意見があることを知ること」であり、これはリアルでは一方通行の思考になりがちであるのを防止する効果があります。一方的だと思考停止に陥り、反対意見や中立的な意見に耳を傾けられなくなる可能性が高いのです。

指導主義だと、自分がわからないことは自分で答える必要はなく、「知っている人に指導を受けに行こう」という流れですが、ネットではそのような対応はできないため、あくまでも一意見として話をします。また、教えを上から垂れるような教授主義にもそぐわないのがネットです。なぜなら対等な関係であり、相手の言うことを聞くかどうかは読み手の選択でしかないからです。断定的に決めつけの論理を展開する人もいますが、これも一意見、一考察とみれば、それ以上でもそれ以下でもない存在なわけです。あくまでもネットの文章というのは「一意見、一考察」として読んでいくところに意味があります。その上で、自分はどう考えるのかということです。賛同するもよし、観念論と打ち捨てるもよしです。

ネットも広宣流布の一つのツールになり得ますし、ネット自体に善悪はありません。ネットの悪い面だけをみて全否定するのは愚かであり、いくらでも善のために活用する方法はあります。そしてネットでできることの限界もありますし、うまく特性を活かしていけばいいわけです。宿坊の掲示板にはネットのみで何とかしようなどと主張している人はおらず、信濃町の人びと様は「情報発信基地」、うらら様は「情報の共有、学習」と言われているように、あくまでも主戦上はリアルであります。私もその通りであると思うし、殊更危険視することに違和感を覚えます。言うならば「所詮ネット」であります。

それでも多くの閲覧者がいるわけであり、無駄だと感じたら閲覧しないでしょう。閲覧するということは、何かを求めているからであり、そこに価値を感じているからでしょう。幹部や組織の健全なる批判はさらなる発展のためには必要不可欠です、ちなみに批判と悪口の違いは、根拠があるのが批判で、根拠がないのが悪口です。

私が閲覧している目的も真実を知りたいがためです。情報がなければ、何も知ることができませんし、戦うことすらできない。教学部レポートの内容を読めばわかりますが、もはや「職員の手に負えない」くらい、自浄作用がなくなっているのが本部の実態でしょう。悪との闘争は民衆の手に委ねられたと私は見ていますので、力なき職員ができることは唯一つ、「邪魔をしない」ということだけです。本部の皆さん、そのあたり、よろしくお願いします。