投稿者:信濃町の人びと   投稿日:2015年 6月18日(木)14時04分4秒     通報 編集済
海氏の妄論珍論に対する雑感です。

2014年会則変更までは創価学会の教学は大御本尊の意義を変更していません。教学部レポートを読む前提はそこに置かなければならない。当たり前です。

この一点だけでも海氏の論は破綻しています。
ざっと一見しただけでも容易にわかります。読む価値すらないですね。自分に都合の良い箇所を都合よく解釈したいのには
どのような理由があるのでしょうかね?
我々学会員は大御本尊の写しの本尊である日寛本尊を日々拝していたのです。
(今でもそう思っている学会員がいますし、御本尊には写してますと書いています)

海氏の聞きたい。
現時点のご観念文はどうなっていますか?
この制定時の秋谷会長並びに教学部長の見解を読めば
大御本尊の意義を変えていないのは一目瞭然です。
変更された教義について指摘をしておきます。
2015年1月の解説も充分な内容ではありません。
一大秘宝、六大秘宝を用いない。

これでは、人法一箇の御本尊をきちんと説明出来ないことは
この掲示板の他の論客からも度々指摘されている通りです。

御本尊を信仰の対象と見ない観念的な解説は、顕正会浅井からも厳しい指摘を受けている通りです。

この点について、学会教学部から公式な発表すら出来ない有様です。

さらに会則変更しても、未だに認定本尊について明確な見解を創価学会として発表していません。

宮田氏の論は一研究者としての見解であり、現時点では創価学会の発表ではありません。

これらの問題の全ての責任は原田会長と教学部にあります。
早急に対応すべき問題です。

教義問題の結論ついて、一言しておきます。
この掲示板の論客が解決策を示さないことを非難している人がいますが、それは当たりません。
なぜなら、全ての責任は創価学会執行部にあります。
また、これを主導した4人組みにあります。

まともな解説が出来ないならば、速やかに誤りを認めて
撤回すべきなのです。
それが責任あるべき人のとるべき道です。
さて、一体、海氏は何を言いたのでしょうか?
意味不明の妄想、珍論を振りかざしています。
教学部レポートが気になりしょうがないのでしょうか?

教学部レポートは教義内容を論じてないのは明らかなのに
滅茶苦茶な論理で我見を振りかざしているだけです。
彼の目的は単なるアラシ行為にすぎませんね。

以上。