投稿者:信濃町のネット対策チームの対策   投稿日:2015年 5月28日(木)22時26分23秒     通報
信濃町のネット対策チームの対策です。
一部言葉足らずでしたので修正しました。

宮田教授は創価大学の教授ですからさぞかし「信仰心」が厚いと思っていられる方へお知らせします。

以下は宮田教授のホームページより
本尊問答抄(5)より

宮田論文
私が池田を宗教指導者として信頼することになるエピソードとして今でも覚えていることは、私が大学院に進学してまもなくの頃、北条浩、山崎正友の下で共産党対策の作業をしていたころ(西口の配慮により、また私の無能により、危なそうな活動をしなくてすんだが、このことに関して西口には感謝している)、たまたま信濃町を歩いていたときに、池田から声をかけられ、そのまま若手本部職員対象の御書講義に参加させていただいたことがあった。そのときの教材が『諸法実相抄』であり、たまたま戸田城聖の獄中の悟達の虚空会の儀式の神秘体験の話題になったとき、池田ははっきりと自分にはそんな体験はないと明言した。私はそれまで、戸田に可能であった体験ならば、自分にも体験可能かもしれないと思い、それなりに長時間の唱題をしたりして努力したこともあったのだが、池田にあっさりとそう言われ、神秘体験は成仏とは関係ないんだと私なりに納得した。(ちなみに法明教会のHPで村田征昭は『本尊は日蓮聖人奠定のままです』というブログで「大曼荼羅を対向として読経唱題するさい、大曼荼羅座配の如く霊山虚空会の聖衆が影現していると信じて礼拝信行しています。」と述べている。日蓮宗の信仰についてはよく分からないが、このような考えが一般的なのだろうか。)宗教指導者であれば、例えば現在の幸福の科学の大川隆法の霊言体験のように一般会員にはない特別な神秘的宗教体験を、自分の宗教的カリスマを飾るために主張することが通例だと思っていた私は、池田のそのような神秘的宗教体験の必要性を認めない、率直な物言いにある種感動を覚えたのも事実である。池田に関してはいろいろな毀誉褒貶があるが、創価学会を神秘的宗教体験なしでも信仰可能な形態に指導したという点では、私は高く評価している

以上が創価大学の宮田教授の論文(抜粋)です。

宮田教授の思想
宮田教授は、池田と師匠を呼び捨てにしてます。

宮田教授は、戸田先生の獄中の悟達は唱題するば自分(宮田教授)もできると思って唱題していたそうです。

宮田教授は、池田先生が戸田の獄中の悟達のような体験をされていないことで池田先生に感動したようです。

宮田教授は、師匠池田先生を高く評価しているそうです。

私達、信仰の意見
宮田教授は学者としての論文です。
それはそれでご自分の責任でおやりになればよいでしょう。

私達、信仰者としてはどの言葉も受け入れ難いです。

宮田教授は、「学者の教学」
私達は「信仰者の教学」
です。

戸田先生は過酷な環境の中、牧口先生のお供して獄中の悟達をされ、池田先生は戸田先生の獄中の悟達を通して日蓮大聖人の仏法を学ばれたと私達、創価学会員は承知しています。

もちろん池田先生は評価の対象ではありません。

踏み込んで言えば信仰の根本です。

5月3日にも書き込みをさせて頂きましたが、池田先生は人師であって人師ではありません。
地涌の菩薩であり、上行菩薩を除く、三菩薩のお一人です。

谷川副会長が宮田教授に、創価学会教義条項の改正についてアドバイスを受けているとの意見があります。

まさか、「信仰者の教学」を旨とする創価学会の谷川副会長が、「学者の教学」を旨とする宮田教授にアドバイスを受けることなどあり得ませんよね?

職員、外郭職員の皆様はどう思いますか?