投稿者:信濃町の人びと   投稿日:2015年 5月27日(水)21時19分19秒     通報
池田大作全集97巻より
方面長協議会 (2005年2月11日)②

■人材育成こそ常勝の道

だが問題は、孔明亡き後である。こんな話が伝えられている。

五丈原の陣中で、孔明が病に倒れた。ある人が、孔明の病状がただならぬことに不安をおぼえ、孔明のあとは、だれを頼りにすればいいのかと尋ねた。

孔明は、二人の英傑の名を順に挙げた。
だが、″そのあとを継ぐ者は?″と、

さらに尋ねられると、孔明はすでに息絶えていたという。(羅貫中『三国志演義』下、立間詳介訳、平凡社、参照)

事実、孔明が挙げた二人は、後に軍事や内政を統括するようになるのだが、彼らが亡くなった後、蜀の命運は尽きてしまったのである。

戸田先生が、孔明の苦心孤忠の胸のうちに思いを馳せ、語っておられた言葉を思い出す。

「人間おのおの長所があれば、短所もあるものだ。さすがの孔明とて、いかんともしがたいところがあろう。蜀の国に人材が集まらなかったのは、あまりにも孔明が才に長け、凡帳面すぎたからだ。しかも、彼には人材を一所懸命になって探す余裕もなかった。そこに後継者が育たなかった原因があると思う。
しかし、ともあれ孔明の死後、蜀は三十年間も保ちえたのを見れば、まったく人材がいなかったわけでもない」

万感迫る恩師の声が、今も耳朶から離れない。

大事なのは「人材」である。人材の陣列が絶え間なく続いていかなければ、いつかは衰退の道をたどるしかない。

私もまた恩師亡き後、ただひたすら、「人材」を育ててきた。「青年」を伸ばしてきた。

「広宣流布」即「世界平和」の大願を継承しゅく人材が、幾重にも波となって続いてこそ、勝利はあり、発展はあるからだ。

この一年、さらに男子部、女子部、学生部を鍛え、未来部を全力で育てながら、新たな五十年へ常勝の大道を開いてまいりたい。

一切は後継者で決まる。未来は青年に託す以外にない。今、立派な、いい青年部が育ちつつある。

人材をぐんぐん伸ばし、いよいよ本格的に青年部革命のうねりを起こしていただきたい。

なかんずく女子部が大事だ。これからの使命の舞台は無限である。二十一世紀は「女性の時代」「婦人の時代」であるからだ。

多くの企業等からも、女子部の皆さんのさわやかな活躍を讃嘆する声が寄せられている。
どうか女子部の皆さまは、仲良きスクラムを大きく広げながら、新しい人材の流れを築いていただきたい。
■「王道の指導者」「広布の孔明」たれ
私は二十七歳の時、友と『三国志』をはじめ中国の英傑をめぐって語りあった夜、日記に次のように記した。

「曹操の勇を思う。項羽の大勇を念う。関羽の人格。張飛の力。孔明の智。孫権の若さ。
・・・・・・

王道の人たれ、覇道の人になる勿れ。
民衆の王たれ、権力の将になること勿れ。
大衆の友たれ、財力の奴隷になる勿れ。
善の智者たれ、悪の智慧者になること勿れ」(『若き日の日記』上。本全集第36巻収録)
王道とは、私たちでいえば、会員のため、仏法のため、広宣流布のために、生きぬく人生である。

覇道とは「何のため」という根本の目的を忘れ、己の私利私欲で、堕落し、みずから腐りはてていく人生のことである。

人生は、地に足をつけて、一歩一歩進んでいくことだ。一度に頂上には登れない。一歩一歩、忍耐強く歩む人が、最後に必ず勝つのである。

最後の最後まで、自分が決めた使命の天地で、雄々しき広布の名将として、生きて生きて生きぬいていくことだ。

どうか皆さまは、創価学会を万代に盤石ならしめる「王道の指導者」「広布の諸葛孔明」として、堂々たる指揮を執っていただきたい。

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池田大作全集97巻より
方面長協議会 (2005年2月11日)
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