2015年5月26日 投稿者:見込みない人々 投稿日:2015年 5月26日(火)22時10分7秒 通報 調べたいことがあり「希望対話3」を読んでいます。この分冊は約120ページに亘り「いじめ」に ついて語られています。とても印象的だった部分を抜粋してみました。 ————————————————————————- 問い クラスのある女子が、数人の男子にいじめられています。 私は、注意したいのですが、こわくて出来ません。(中学2年女子) (中略) *なんとかしたい!その「心」を貫け 名誉会長 そんな中で、質問の彼女は「私には関係ない」とは思っていない。「何とかしたい」と思っ ている。それだけで、ずっとずっと偉いよ。 「何とかしたい」と思う、その心を大事にしてもらいたい。なぜか。その心を持ち続けてい れば、いつかきっと「何とかできる」からです。万一、中学生時代に出来なければ、高校で、 大学で、社会で、きっと「何かできる」自分になれる。 反対に、「自分には何も出来ないんだ」と、あきらめたら、そのとたんに、本当に何もで きなくなってしまう。これは大事なことなんです。 それを前提にして、私は、そのクラスの「現実」をよく知りもしないで、簡単に「勇気を出 して、いじめを止めなさい」というのは、言う方が無責任だと思う。その結果、どんな事態に なるか、わからないのだから。 今、ずっと「いじめ」について一緒に考え、語っているけれども、これは、あくまでも「原 則」です。「現実」は千差万別で、全部、違う。だから、一律には言えない。そんな簡単なも のではない。 「どんな場合でも、勇気を出して、いじめを止めなさい」と言うことは、やさしいよ。しか し、その結果、大切な中等部のみんなが傷ついたりする可能性があるとしたら、それは言えま せん。私は、みんなが大事なんです。誰も危ない目にはあわせたくない。 *まず「祈り」を! 名誉会長 だから、最低限言えるのは、「接待に自分は、いじめない」こと。そして御本尊に、いじめ られている子のことを「真剣に祈ってあげる」こと。 そのうえで、できれば、何らかの方法で、その子に「自分の心配している気持ちを伝える」 こと。正直に「自分は今は、いじめを止める勇気がないけど、悪いのは絶対に、いじめている 側だから!あなたは、ちっとも悪くない!私は毎日、祈っているから!」と手紙を書くだけで もいいと思う。 松村 それだって、勇気が入ります。立派なことですね。事実、そんなふうに手紙を書いた女 子もいるんです。すると少しずつ、その子が心をひらいてくれて、味方がだんだん増えていっ て、いじめがなくなっていったんです。 堀井 手紙やメモには、自分の名前を書きたくなかったら、それでもいいと思います。 名誉会長 それと、だれか仲間を探すことです。「いじめをやめさせたい」と思っている人は 、きっと、ほかにもいると思う。いなければ、つくればいい。「同志」をつくるんです。「自 分ひとり」と、「もう一人同志がいる」とでは、大違いです。 (中略) *「何か」をはじめよう 名誉会長 フランスのミッテラン前大統領の奥さんは、熱心な人権活動家です。創価大学でお 会いしたとき、こんな話をされていた。「たとえば、目の前に、五十人の人が溺れているとし ます。でも私には当面、ひとりにしか救いの手を差しのべられない。でも、まず、一人を助け れば、次の人を助けることも出来ます。やがて、それを全体に及ぼしていくことができるんで す」 堀井 そう思います。「いじめ」というと、なにか話を広げてしまって、「こんな社会だから 」とか「ちょっとくらい努力したって、焼け石に水だ」とか何もしない言い訳ばかりする傾向 があります。しかし、「焼け石」だって、みんなが「水」をかければ、冷えていきます。 名誉会長 そのためには、だれかが「水」をかけ始めることだ。だれかが「何か」始めること だ。 ~今の自分にできることは、小さなことかもしれない。 その小ささを恥じて、手を引っ込めてはいけない。 「今、自分にできること」をやった人が偉いのです。~ Tweet