2015年5月22日 投稿者:信濃町の人びと 投稿日:2015年 5月22日(金)00時28分1秒 通報 夏期講習会が最後になってしまった90年夏ですが。 学生部のメンバーとして参加させていただきました。 池田先生はロシア訪問から帰られて直ぐでしたので ぎりぎりまで参加いただけるか不明でした。 当日、先生と一緒に正本堂でご開扉。 夕方より学生部総会が開催。 夜は坊で予定があったのを先生の配慮によりゆっくり遊びなさいとのこと。また、勤行はしなくてよいよ。 私が皆の分までやるから。 また、丑寅も参加しなくてよいから。 私が全部やっておきます。みんなはゆっくり休んでくださいとのご伝言がありました。 先生のご配慮で行事も変更され時間に余裕のある講習会に。 池田先生のお心を感じる講習会でした。 後から思えば第二次宗門事件の火蓋が既に開始されていた時期でした。数日前にはあの西片会議にて日顕はC作戦の謀議を。 また、この日は午前中に池田先生は日顕と大奥で面会。 ロシア訪問の報告という建前であったようです。 実際には面会の席で日顕が秋谷氏を面罵。 池田先生にも、あんたにも言いたいことがあるんだ。と。 学生部総会に先立ち、秋谷会長からお話がありました。 今日の会合はある意味創価学会の歴史的会合です。 先生が歴史的なスピーチをされます。と。 今振り返ると、池田先生が最後の夏期講習会だから、よい思い出を作ってあげたい。窮屈な思いをさせてはならない。 人間の為の宗教なんだと身を持って教えてくださった。 そのように思えてなりません。 Tweet