投稿者:アルベアメール   投稿日:2015年 5月18日(月)10時47分55秒     通報
「不在」ということ

先生が出席しなくなった本幹はつまらない、地区部長会に参加しても会合の連絡だけでつまらな

い、座談会も人が少なく面白くない、それは自分の胸中に池田先生が「不在」だからです。外に

ある対象を求めているのです。

牧口先生が獄死した後の戸田先生の胸中には、常に「恩師牧、牧口先生がにっこり微笑んでいた」

と人間革命にあります。池田先生の胸中にも、常に戸田先生が常在しています。先生がいないか

らなどという不平不満は一切でてきません。師匠と同じように会員のために、立正安国への日々

だったことはみなさんもご存知の通りです。

ただ、私たちの多くの胸中には池田先生が「不在」なのです。常在ではなく「常不在」の意識と

なっているのです。「師弟不二の覚醒」は、自身の胸中に先生の命を常在させることです。

直接、先生から薫陶を受けていないから、先生の薫陶を身近で受けても、見ていても、先生「不

在」の人はいるのです。自称「弟子」と称する人々の姿です。このような現象は大聖人の時代も

同じでした。

対象化する、先生を自身の胸中に内在化させる、ということは、見る側の意識です。幹部と称す

る人々も「なんとなく、つまらない症候群」になっているのです。自身の中に先生不在であるこ

とを知らないのです。「常在」させる方法を教わっていないからです。

ある壮年が「つまらない会合に行くのは一般会員がかわいそうだ」と言ってきました。「それ

は、お前がつまらないからそう感じるんだ。」「つまらなければ、お前がおもしろくすればいい

だろう」といいましたが、わかってくれませんでした。これが日本全国の地区でみられている現

象です。創価学会に先生不在の時代が到来しているのです。どうするの?現実にいなくなった

ら、創価学会やめるの?疲弊・閉塞の創価学会を健全な創価学会に変えるの?すべては自身で選

択することです。人間革命あなたやりますか?やめますか?どうしますか?ということです。

先生を胸中に内在化させない限り「退転の輩」に反転していくのです。

会長が、理事長がは、組織の役職名であり、錯覚しないで下さい。学会の役職は「責任職」とい

う指導、時代は、既に消えて久しいのです。皆さん方の経験・周辺を見渡せばわかることです。

人がいいから、いつまでも役職に期待しているのです。「幹部批判になるから・・・」幹部批判

ではなく人の世は、そういうものなのです。なぜならば「師弟不二」の「責任」を回避、逃避し

ているからです。ガチ、真っ向勝負、という言葉がありますが、世間受けの見かけの言葉です。

先生「不在」という意識が、個人、組織を世間に同化させてしまっているのです。だから不正と

横領等は世間と同じ構図で現象化しているのです。

「なんとなく、つまらない症候群」は、続きます。せっかく信心したのに、題目上げているの

に、つまらない人生が続くのです。それは自分自身の「責任」なのです。