投稿者:アルベアメール   投稿日:2015年 5月17日(日)10時57分1秒     通報
ダメよ~ダメダメ 様 ありがとうございます。嬉しいです。
大仏のグリグリのとこ 様 「正論」ありがとうございます。

「魂」を取り巻く社会状況について(「諂曲なる衆生文化状況)述べます。

「魂」という言葉も昭和30年代以降から一般的に使用しなくなっています。「魂」ということ

が意識から希薄化されているからです。

言葉を発することは意識の中に取り入れている働き作用なのです。明治時代に入り本読みが黙読

として定着しました。それ以前は「音読」する文化が当り前の学び方だったのです。「音読す

る」ことにより知識を内に取り入れ、自身の意識に定着化させていたのです。「祈り」「勤行」

等、神仏に向き合う時、当たり前に教本や祝詞を音読していたのです。言葉を音声にすることに

より、その書かれた内容、意識を自身の中に取り入れる働き作用だったのです。

語学の学習も初期段階は、黙読よりも音読が先です。乳幼児の言語修得過程も「音声言語」によ

る「模倣」行動です。

普段の日常語が、その人の資質・特性・傾向性を示しているのです。昭和50年代から、女子の

言葉使いが「男的」となり「汚さを感じています」しかし彼女たちは感じません、そういう言語

状況で育ってきたからです。

意識の汚れが常態化しているからです。教育現場にいたとき、50年代後半から、学生の話し

方、話し言葉が「タメ口」に移行してきたのを感じました。意識の汚れだけではなく、自身の立

場が不鮮明になっている、敬語が使えない、背景にはTVメデイアの影響が強くあります。気づ

かずうちに愚考パターンを修得してきているのです。このころから「人を冒涜する」ことが日常

的になってきたのです。社会全般に冒涜意識が蔓延し始めたのです。

このような傾向を「メディアによる意図的教育革命」と称し、学校教育・家庭教育・社会教育と

いう枠組みの崩壊現象を提示したのです。わかりやすく言うならば「生きるための消費」が「消

費するために生かされている」という「奴隷化現象」が大衆の中に見られるようになってきたと

いうことです。

ちなみに今までに7回ほど職場がかわりましたが、どこに行っても仲間の悪口、上司の悪口が日

常化しているのに末法の衆生の汚れを再認識したことがあります。

当然、学会内部でも軽蔑と冒涜現象の影響を色濃くうけた兆候がみられています。

池田先生を腹の中で軽蔑、冒涜し、見かけの姿を演じているという姿は、「魂」までもが「汚

れ」ている証拠でもあります。彼らのいる場が汚れ、穢れているのを感じます。後継者が育たな

い文化状況でもあります。

「魂」に通じる言葉がけが必要なのです。その方法が自身の「魂」を輝かすことなのです。その

具体的方法が池田先生の著作の中で一番好きなこと、文章を何回も音読することです。自身に言

い聞かせることです。このことは自身の意識の浄化作用にもなります。また、すべての人たちに

通じる言葉を形成することにもなるのです。

今、話し言葉がメール化しています。ますます意識が希薄になり、内面を磨くことのない、知ら

ない人々が増えています。

現代人の多くは、感動する世界、歓喜の世界が「わからない」世界を生きているのです。人間の

質的変化・変貌があるのです。疲弊する閉塞的な状況は、「魂」の呼び起こしを示しているので

す。

「諂曲」なる衆生が、はびこっているのです。それは、新たな「魂」を抱く人々への「呼びか

け」でもあるのです。変革的存在としての自身の呼び起こし、変革的「魂」の現れが今起きてい

る現象でもあるのです。

ちなみに「諂曲なる衆生」に、いくら説いても感じません、わかりません、次元が異なるからで

す。彼らを攻めるとは、彼らの次元が揺れ動き、驚愕し、自身で消滅させることです。それが

「師弟不二の覚醒」なのです。

彼らへの驚きと、驚愕という現象の現実化が「覚醒の連帯」なのです。