投稿者:河内平野 投稿日:2014年 9月 5日(金)16時20分34秒 返信・引用

一方、ロボットのようにバカにされながら、現実に働き、現実に力をもっている労働者――それこそ「人間」なのである。

さらに、傲慢な権威・権力の横暴に忍従することをやめて、「俺たちこそ主人公なのだ!」と立ち上がった時、彼らは、真の「人間」へと大きく脱皮した。

頭を上げ、胸を張り、勇気をもって、正義を主張した時、難攻不落に見えた権威の城は、あっけなく滅びた。
すでに「人類」は冷たい「ロボット」(機械)になり、かえって「ロボット」のほうが熱い血潮の「人間」になっていた。
実質は、たがいに入れかわっていたのである。

作者チャペックは、機械文明の発達によって、人間がまるで機械のようになっていく不安を感じたという。
ただ働くだけで、自分で考えることをやめてしまった人間。
その「機械のような人間」をさす言葉として、チェコ語の「賦役(ふえき)、苦役」を意味する「ロボタ」から、「ロボット」という新語を作った。

――ともあれ、「真の人間とは?」と問いかけるこの戯曲は、今も新鮮さを失っていない。
「人間」を軽蔑する人は、みずからが冷血の「ロボット」になる。
人の「人間性」を破壊する者は、みずからの「人間性」をこそ破壊している。
法華経勧持品には、そのような人間の姿が詳細に描きだされている。

「或は阿練若に 納衣にして空閑に在って 自ら真の道を行ずと謂いて 人間を軽賤する者有らん」(開結四四一頁)
――あるいは、寂静処(静かな場所)で、法衣を着け、俗世を離れて、みずから真の道を行じていると思って、人間を軽んじ、いやしめる者がいるであろう――。

これは法華経の行者を迫害する敵人(三類の強敵)のうち、もっとも悪質な「僭聖増上慢」の姿である。
つまり、《聖僧》の名を盗んで、その資格もないのに偽って名乗り(僭聖)、大衆を離れて人間を見おろしながら、しかも「真の仏道を行ず」と称する
――そういう存在が、法華経の実践者の最大の敵として現れてくるとの予言である。
これが現れなければ、真の法華経の行者ではない、というのである。