投稿者:ジョーカー   投稿日:2015年 6月 3日(水)00時04分26秒     通報

信濃町の人びと様、日々の同盟唱題の開催ありがとうございます。日蓮仏法は何と言っても唱題であり、肝心要であります。せっかくですので、少々唱題について話をしたいと思います。

私は、自分の唱題時間を毎日記録に取っています。近々では1月24日~5月31日までの128日間で、7290分(121.5時間)あげております。一日平均57分という結果でした。そして、詳細に起きた出来事や、功徳と実感できるものも記録しています。この間に、人生を大きく変える一つの変化と、抱えている三つの問題が解決しました。そして、獅子の信心や、師弟不二の覚醒等、重要な「気づき」を得ることもできました。

唱題の量に関して述べられている御書として、内房女房が「題目五万遍」あげたことを大聖人に報告したところ、「一遍、二遍唱えて利生をこうむった人は少しあるようですが、未だ五万遍も唱えた例は聞いたことがありません」(P1421 趣意)と、称賛されています。
唱題は自らの決意で、目標を立てて唱えていくことが大事であり、その自発の信心に功徳が具わります。基本スタンスとして、「御本尊に巡り合えたことは奇跡であり、とてつもないこと」という姿勢が、功徳の源泉となります。もちろん凡夫の身ですから、いつでもそのような状態を維持することはできないものですが、常にそのことを意識し、自戒していくことも必要でしょう。

決意が祈りを生み、祈りが行動を生む。それが自分の人生をつくっていくことであり、祈りありの行動は、幸せへと直結します。これが信心している人としていない人の差であり、誰もが願いを叶える力を有していますが、それが幸せにつながるとは限らないところに人生の「妙」があります。

唱題行は、生命が躍動し、生きていることが素晴らしく感じられるようになります。その歓びは、何物にも代えることはできません。唱題の歓喜(功徳)の連鎖によって広宣流布は進んでいきます。
何があってもなくても自身の生命を磨く題目を淡々とあげてまいりたい。