投稿者:信濃町の人びと   投稿日:2015年 5月13日(水)15時18分4秒     通報 編集済
池田大作全集80巻より
全国青年部幹部会、新宿・港合同総会
(1992年1月15日)④

獄中の牧口初代会長「心一つで地獄も楽しみ」

昭和十九年(一九四四年)、牧口初代会長は、生涯最後のお正月を、東京拘置所のわずか三畳ほどの独房で迎えられた。
板の間に、硬い畳がたった一枚敷いてあるだけ。暖房など、まったくない。もちろん御本尊も御安置できない。その獄中から、この一月、牧口先生は、何通かの便りをご家族に送られる。

その中の、一月七日付の一通──。

「貞子ちゃん私も無事に、こゝで七十四歳の新年をむかへました。こゝでお正月の三日間は、おもちも下さいましたし、ごちそうもありました。心配しないで留守をたのみます」

(「貞子ちゃん」とあるのは、牧口先生の三男・洋三氏の夫人。洋三氏は、牧口先生が亡くなる直前、戦死)

昭和十九年の新年
──牧口先生は、数え年で七十四歳になられた。思えば、日目上人が 国主諫暁こくしゅかんぎょう に 赴おもむ かれる途上、 御遷化ごせんげ なされたのも、七十四歳であられた。

牧口先生は、獄中の粗末な食事を「ごちそう」と表現されている。品数もなく、栄養もない、ひどい食生活であったろう。しかし、愚痴一つこぼされない。悠々たる、お姿であった。

さらに、先生は「大聖人様の佐渡の御苦しみをしのぶと何でもあ 里り ません」と書かれている。

獄中にあって、先生の「基準」は、大聖人の御法難であられた。流刑地の佐渡におられる大聖人のお姿を拝するならば、自らの獄中生活など大したことはないと──。

私どもは、その先生の後継者である。皆さまも、どうか「同じ心」であっていただきたい。

少々の難、少々の苦労があったとしても、どうして一喜一憂することがあろうか。それらは、いわば人類の業であり、永遠に、なくなることはない。また、生老病死の苦悩を離れて、人間も人生もないのである。

何の苦労も、悩みも、悲しみもなく、過ぎ去っていくような人生は、あまりにもむなしく、愚である。生きがいもない。

大聖人の仏法の極意は、煩悩即菩提。苦しみが大きいだけ、苦悩が深いだけ、悟りも喜びも大きいのである。

少し後には、
「御本尊様を一生けんめいに信じて 居い れば次々に色々の故障(障害)がでて来るが皆 直なお ります」と。

信心を一生懸命に実践していると、障害として、″三障四魔″が競い起こってくる。

しかし、微動だにすることなく、信心を貫いていけば、必ず乗り越えていける。変毒為薬できる。その大確信をつづっておられる。
これが、一月七日付の私信である。

また牧口先生は、十日後の十七日付のお便りで、こうも記されている。

「信仰を一心にするのが、この頃の仕事です。これさへして居れば、何の不安もない。心一つのおき所で、地獄に居ても安全です」(文中の「地獄」の二字は 検閲けんえつ を受けて、当時、削除(さくじょ)された)

二十六日付には、「心一つで地獄にも楽しみがあります」と。(この文も、検閲に触れ、十六字すべてが原文から削除された)

冷たく、 暗澹あんたん たる牢獄の「地獄」も、ただ「心一つ」で「何の不安もない」。「安全」であり、「楽しみ」があると。まさに「地獄即寂光」「煩悩即菩提」と御書に説かれるままの 泰然自若たいぜんじじゃく としたお心──。

これが我が創価学会創立者の、偉大なる「信心」である。
「境涯」である。
大聖人の仏法を深く、身で読まれた方が、私どもの師匠なのである。

この牧口先生のご苦労をしのべば、どんな苦労も大した難ではない。先生の後に続いていくことは、最大の誉れであることを深く確信したい。
「学ばずは卑し」
さらに、一月十七日付の便りでは、牧口先生は「今が寒の頂上ですが、病気は直って無事です、心配しないてで下さい。本が一ばん楽しみです、ぞくぞく入れて下さい」と、本の″差し入れ″を頼まれている。

先生は、どんな環境にあっても、少年時代から、生涯、最後の最後まで、勉強された。学び通された。

亡くなる約一カ月前に出された最後の書簡(十月十三日付)には、

「カントノ哲学ヲ精読シテ居ル」との一節が見える。身体の衰弱にもかかわらず、たゆむことなく勉学を続けられていた。

その直後には、「百年前、及ビ 其その 後ノ学者共ガ、望ンデ、手ヲ着ケナイ『価値論』ヲ私ガ著ハシ、 而し カモ上ハ法華経ノ信仰ニ結ビツケ、下、数千人ニ実証シタノヲ見テ、自分ナガラ驚イテ居ル。コレ故、三障四魔ガ 紛起ふんき スルノハ当然デ、経文通リデス」と、″経文通り″″御書通り″の大確信を記されている。

まさしく「学ばずは 卑いやし」
──学ばない人は卑しい人である、ということに通ずると思う。

きょうは中等部の「結成記念日」であり、大切な諸君のために、このような話を申し上げた。

我が中等部の皆さん、いらっしゃいますか?きょうだけは大いに遊んでください。

きょうくらいは、できれば、ゆっくり友情を温めてほしいが、それはそれとして、勉強は絶対に大切である。勉強しなければ、自分が損をする。今は楽に見えても、社会に出てから、また結婚してから、後悔する。行き詰まる。勉強しない人、努力しない人で、偉くなった人は歴史上、一人もいない。

「勉強した人」が偉い人である。「努力した人」が勝利の人である。どうか、牧口先生の後に続き、「学べ、また学べ」と、皆さんに申し上げておきたい。

私も、この牧口先生のお心を知るゆえに、幼稚園から大学まで整備し、「教育」に全力を尽くしている。
「教育」は全世界に通ずる「普遍性」がある。
宗教だけでは、相手の心に警戒と壁をつくってしまいかねない。

人類に貢献するという、こちらの真意を伝えることも困難である。心が伝わらなければ、何の実りもなく、かえって法を下げてしまう。

要は「人間」である。
現実に世界に通用する「人間」であるかどうか。
世界広布といっても、そうした自分自身をつくるところに一切の″要″がある。その意味でも、勉強また勉強をお願いしたい。
戸田第二代会長「学会の創立者は″法華経の行者″」
この牧口先生を、戸田先生は、「牧口先生」と題した一文の中で、こうたたえられた。

「もし(牧口)先生が法華経の行者でなかったら、この運命(獄死)はありえないのです。されば、先生は、法華経のために身命をなげうったお方である、法華経に命をささげた、ご難の見本である。先生の死こそ、薬王菩薩の供養でなくて、なんの供養でありましょう。

先生こそ、仏に
『 諸もろもろ の 施せ の中に 於お いて、最尊最上』
の供養をささげた善男子なり、とおほめにあずかるべき資格者である。

愚人にほめらるるは智者の恥ずるところと大聖人のおことばを、つねに引用せられた先生は、ついに最上の大智者にこそほめられたのである」

法華経の薬王菩薩 本事品ほんじほん には、薬王菩薩が自分の身を焼いて、仏と法華経に供養したと賛嘆されている。

正法のために生命を捧げた牧口先生の獄死は「薬王菩薩の供養」であり、「法華経の行者」であったゆえの「難の見本」だと戸田先生は叫ばれたのである。
この尊き姿を見よ!眼を開いて仰ぐべきである!──と。

末法の「法華経の行者」日蓮大聖人。
その殉難の御生涯に、まっすぐに連なっているのが、牧口先生であり、我が創価学会なのである。

法華経の行者、御書の行者、広宣流布の行者
──。地涌の使命に立たなければ、私にしても難また難、悪口また悪口、迫害また迫害の今の人生とは大きく違っていたであろう。

しかし、ひとたび立ち上がった以上、何があろうと、前へ進む以外にない。喜んで戦い抜くことである。

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■全国青年部幹部会、新宿・港合同総会
(1992年1月15日)①
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■全国青年部幹部会、新宿・港合同総会
(1992年1月15日)②
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■全国青年部幹部会、新宿・港合同総会
(1992年1月15日)③
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