2015年5月6日 投稿者:アルベアメール 投稿日:2015年 5月 6日(水)09時28分0秒 通報 特権意識を振り回す「権威的人間」を超えて、どう「民主的な人間」を生みだすのか。ここに問題がある。ここに「人間自身」を革命しゆく仏法、信心の重大な意義がある。プロジエクトX様 「師と同じ心」で「増上慢」を破れ、虹と創価家族様 おっしゃる通り、その通り、です。すべては個人の信心であり、尊極なる「師弟不二」「獄中体験」なきがゆえの現れです。 「師と同じ心」とは「日蓮と同意ならば」「蓮祖が其の身に入る」という「不二」体感・体験がないからです。その多くは、過剰な思い込みという自己都合の「不二」体感・体験なのです。 このことは「宿坊の掲示板」に訪れる私たちにもいえることです。自身の「師弟不二」の体感・体験をする時が来ているのです。どうすれば、そうなるのか?人間革命では「革命は死なり」と表現されていますが、そういう境地になることは認知運動技法により可能となります。 「決意」「誓い」だけでは自他という二者関係にとどまるからです。自他不二という意識が内的に生じない限り過剰な思い込みの世界を生きるからです。 私を含め、今、「師弟不二」が問われているのです。 Tweet