投稿者:信濃町の人びと   投稿日:2015年 5月 4日(月)11時51分18秒     通報 編集済
アルベア様投稿から

「人材育成」という観点からの「師弟不二」の体感・体験の促しが必要な時代です。

同世代の責任とは後に続く人々に「師弟不二」の体感・体験を具体的に伝えていくことだと思います。そこにのみ歓喜、歓喜、大歓喜があるからです。

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先生が人間革命に書かれた内容を確認するために大事な部分を抜粋しました。
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【小説『人間革命』一念 より】

各方面の責任者は、それぞれ会長室を退去した。

しかし、責任者のすべてが、戸田の今の言葉を、心から信じ、理解したとはいえなかった。

後の話になるが、彼らのなかのある者は、地方の組織に対して、ただ命令をもって臨み、地方会員の顰蹙を買い、かえって、せっかくの闘争の活力を、各地で削いで回った者さえいたのである。

初めての全国的規模の戦いは、さまざまな戸惑いと混乱を引き起こしたが、山本伸一のもとにあった関西だけは、信心一筋を貫いて、苦闘のなかで、誰も想像しなかった奇跡的な勝利を得たのである。

事にあたって、透徹した信心を、どこまでも貫きゆくことの困難さを、多くの責任者たちは、未熟にも、いまだ知らなかった。

東京方面の責住者たちは、戸田の話を原理としては理解したが、団結の重要性を、実践のなかで生かすことに戸惑って失敗した。

信心年数の古い、多くの幹部の間で、新旧の人間関係の複雑さが、心からの団結を妨げた。

その団結の姿は、残念ながら信心のうえを上滑りして、形式的なものに堕さざるを得なかった。笛吹けども人踊らず、責任者の交代を、中途から余儀なくされる事態まで進んだが、時既に遅く、惜敗を招くのである。

これらのことは、すべて後日に判明したことだが、まことの指導者たることが、いかに至難であるかという事実を語る実例である。

戸田は、多くの指導者を育てるために心を砕いていたものの、時機はまだ熟していなかった。

彼の弟子たちは、師弟の道は心得ていたが、広布実践のうえで、師弟不二のなんたるかを悟る者は、皆無といってよかった。

不二とは、合一ということである。

一九五六年(昭和三十一年)の戦いに直面した時、戸田の弟子たちは、彼の指導を仰いだ。

しかし、彼らは、自分たちの意図する世俗的な闘争方針を、心に持したままであったため、戸田の根本方針を、単なる原理として聞き、結局、自分たちの方針の参考としてしか理解しなかった。
戸田の指針と、彼らの方針とは、厳密にいって不同であったのである。

師弟の道を歩むのはやさしく、師弟不二の道を貫くことの困難さがここにある。

ただ、山本伸一だけが違っていた。戸田の膝下にあって、久しく厳しく育成されてきた彼は、関西方面の最高責任者となった時、戸田に言われるまでもなく、一人、多くの辛労に堪えながら、作戦を立てた。

その彼の作戦の根本は、戸田の指針と全く同一であった。不二であった。彼には、戸田の指導を理解しようなどという努力は、既に不必要であった。

以来、時々刻々と放たれる戸田の指導の一言一言が、伸一の闘争方針の実践に、ますます確信を与え、いよいよ渾身の力を発揮する縁となったのである。

彼は、一念において、既に、戸田の一念と合一したところから出発していた。

ともあれ、大聖人の仏法が師弟不二の仏法であるならば、一切法がこれ仏法であるがゆえに、立正安国の現実的な展開のなかにも、師弟不二の道が貫かれていくことは、当然の理といわなければならない。

後の話になるが、戸田が深く尊敬していた、法主の堀米日淳は、戸田が逝去して二カ月後に行われた九州第二回総会での講演で、牧口常三郎の尊い生涯に触れてから、師弟について次のように語っている。

「戸田先生はどうかと申しますと私の見まするところでは、師弟の道に徹底されておられ、師匠と弟子ということの関係が、戸田先生の人生観の規範をなしてており、このところを徹底されて、あの深い仏の道を獲得されたのでございます」

日淳は、師弟の関係によって仏道を得ていくというのが、法華経の要であることを指摘して話を続けた。

「創価学会が何がその信仰の基盤をなすかといいますと、この師匠と弟子という関係において、この関係をはっきりと確認し、そこから信仰を掘り下げていく、これがいちばん肝心なことだと思う。今日の創価学会の強い信仰は一切そこから出てくる。

戸田先生が教えられたことはこれが要であろうと思っております。

師を信じ、弟子を導く、この関係、これに徹すれば、ここに仏法を得ることは間違いないのであります」

日淳は、法華経神力品の「是人於仏道 決定無有疑(是の人は仏道に於いて決定して疑い有るとと無けん)」(法華経五七六ページ)を引き、師弟の道に徹して、「決定無有疑」の境地に到達するという実践をしたのが、戸田であると強調した。

「戸田先生ほど初代会長牧口先生のことを考えられたお方はないと思います。親にも増して初代会長に随って来られました」と、牧口に随順した戸田の生き方を感慨深げに述べた日淳は、最後に「この初代会長、二代会長を経まして、皆様方の信仰の在り方、また今後の進み方の一切が出来上がっているわけです」と結んでいる。

まさしく、創価学会の実践的生命は、師弟不二にある。師弟不二の道は、一念における荘厳な不二にあるといわなければならない。