投稿者:信濃町の人びと   投稿日:2015年 5月 2日(土)18時20分46秒     通報
池田大作全集90巻より
「5.3」記念第33回本部幹部会 (1999年5月1日)④

さて、今年は、ゲーテの生誕二百五十周年である。
ゲーテは、戯曲の中で、新しき世界建設の気概を、こう謳っている。

「兄弟たちよ、立て。世界の解放に。
彗星は招く、偉大なる時が来た。
あらゆる専制のおりなす業を
真っぷたつに切って捨てよ。
前へ、進め、高みへ。
この大事業を、成功させよう」(『ゲーテ全集』5,小塩節訳、潮出版社)

世界の解放
――私たちの立場で言えば、
「世界平和」である。

彗星は招く
――天が見つめている、と。

あらゆる専制を真っぷたつに
――権力の傲慢を、真っぷたつに切れ、と。

この大事業
――広宣流布の大事業を成功させよう! という意味になろうか。

「かくて進もう、大胆なわれら」

「なにものも
われらの歩みをとどめはしない。
前へ、進め、高みへ。
そして偉大なる、この仕事をやり抜こう」(同前)

立ち止まってはいけない。進まざるは退転である。

前へ前へと進む
――そこに勝利がある。

創価学会の「勝利の三色旗」が今、ここでも、あそこでも、堂々として翻っている。私も、三色旗を見るたびに車中から題目を送らせていただいている。

私は全国、全世界を回りたい。いよいよこれからが、二十一世紀への広宣流布の「総仕上げ」である。(拍手)
われらは「世紀の先頭」に立つ

ナポレオンは晩年、セント・ヘレナで、「批判と誹謗の連続」であった自らの波乱万丈の人生を振り返りながら、きっぱりと語っている。

「一つの勝利、一つの記念碑、これが最高の真実の答えである。虚偽は消え去り、真実が残る。賢い人々は、とくに後世は、事実に基づいてしか判断しない」

彼は未来を、こう展望していた。いいかげんな中傷など、時とともに、幻となる。残るのは、「勝利」の「事実」だけである。

また彼の有名な言葉に、こうある。
「君の世紀の思想の先頭に立って歩いてみ給え、それらの思想は君に従い、君を支持するであろう」(『ナポレオン言行録』大塚幸男訳、岩波文庫)

これから、二十一世紀の先頭に立つのは、どの思想か、どの勢力か
――この熾烈な競争が始まっている。この競争は何で決まるか。一切、「人材」で決まる。「人物」で決まる。

「人格」と「力」を兼ね備えた総合的な人材――「全体人間」が必要なのである。

「全体人間」の育成が、学会の目標である。
いくら秀才でも、信念がない。いくら有名でも、哲学がない。いくら情熱があっても、知性がない。忍耐力がない。いくら人気があっても、誠意がない。これでは、「全体人間」ではない。偏ぱであり、ひとつひとつが、バラバラである。総合的な力になっていない。

総合性こそ、信仰者の徳である。「妙法蓮華経」には、徳も生命力も情熱も、知性も福運も哲学も、すべてが総合的に備わっているからである。

ともあれ、「人材に道を開け!」――これがナポレオンの信念であった。

「後輩を自分以上の人材に!」――これが戸田先生の遺言であった。

「人材」で勝負は決まる。「人材」で歴史は決まる。ゆえに学会は、徹して「人材」を育て、徹して「人材」で勝っていきたい。

戸田先生は、四十五年前(一九五四年)の五月一日付の「大白蓮華」に「巻頭言」を記されている。

――広宣流布をする人は「仏の使い」であり、「仏の仕事を行う者」である。その人は、ナポレオン、アレキサンダーなどより、幾十億倍も優れている、と――。

妙法を弘め、学会活動に活躍する人こそ、真の英雄である。いちばん尊い人である。

日蓮大聖人は、「撰時抄」に仰せである。
「法華経を経のごとくに持つ人は梵王にもすぐれ帝釈にもこえたり、修羅を随へば須弥山をもになひぬべし竜をせめ つか使役 はば大海をもくみほしぬべし」

――法華経を、その教えの通りに持つ人は、梵天にも優れ、帝釈をも超えているのである。修羅を従えるので須弥山をも、かつげる。竜を使いこなして大海をも汲みほせる――。

さまざまに拝することができるが、妙法を如説修行する人は、修羅界や畜生界の存在をも自由自在に使いながら、広宣流布の大偉業を成し遂げていける――との仰せとも拝せよう。

総じては、そういう「偉大な人間指導者」の集いが、創価学会なのである。

学会が強くなることが、二十一世紀の「希望」を強め、「平和」を強めていく。こういう確信で、誇り高く、雄々しく、「五月三日」を期して、また新たに前進を開始しましょう!(拍手)
嫉妬と増上慢の「修羅」は広布を妨害

広宣流布を阻む「修羅」の生命について、お話ししておきたい。

修羅界は、十界論では、下から四番目であり、地獄界、餓鬼界、畜生界とともに「四悪趣」に位置づけられる。

修羅の生命の特徴は、自分よりも優れた人に対する「嫉妬」と、あらゆる人を見くだし、押さえ込もうとする「勝他の念」である。

大聖人も御書の中でとりあげられているが、天台大師は『摩訶止観』で、修羅の卑しさを、こう表現している。

「常に他人に勝つことを願い、その心を抑えきれず、人を見くだし、他者を軽んじ、自分だけを尊ぶ。それはまるで、トンビが高く飛んで、下を見おろす姿のようである。それでいて外面は、仁・義・礼・智・信という徳を掲げて、(表面的で、自己満足の)低級な善心を起こし、修羅道を行ずるのである」(御書四三〇ページ、通解)

すなわち修羅は、内面では、「我尊し」と驕りながら、外面では、徳を備えた人格者のように振る舞う。偽装がうまいのである。

その根本は、自分をよく見せようとする「見栄」であり、他人を見くだし、民衆を蔑視する「傲慢」であり、「驕慢」である。ゆえに、「だれもが成仏できる」と説く法華経を信じることができない。

他人よりも自分が上でないと、気がすまない。否、妙法そのものよりも、自分が上であるかのように慢心してしまう。

それが広宣流布を阻む悪人たちの本質である。まして、「自他ともの幸福のために、真剣に戦う」法華経の行者の心など、わかるはずがない。

「観心本尊抄」には、「 諂曲てんごく なるは修羅」と仰せである。

「諂曲」とは、諂い曲がった心のことである。この「諂い」とは、他人と自分とを比べ、それによって自分の態度を変え、自分の本心を見せずに従順を装うことである。

また修羅は、心が曲がっているため、自分も、他人も正しく見ることができず、自分が偉いかのように錯覚してしまう。

大聖人は、こうも仰せである。

「能く大梵天王・帝釈・四天と戦う大阿修羅王有りて禅宗・念仏宗・律宗等の棟梁の心中に付け入つて次第に国主国中に遷り入つて賢人を失う、是くの如き大悪は梵釈ぼんしゃく も猶防ぎ難きか何に況んや日本守護の小神をや但地涌千界の大菩薩・釈迦・多宝・諸仏の御加護に非ざれば叶い難きか」

――大梵天王や帝釈、四天王と戦うことのできる大阿修羅王がいて、禅宗、念仏宗、律宗等の指導者の心の中につけ入り、しだいに国の権力者をはじめ国中の者の心に移り入って、賢人をなき者にしようとする。
このような大悪は、梵天・帝釈でさえも防ぐことは難しいであろう。いわんや日本を守護する、力の小さな神など、なおさらである。ただ、千世界を微塵にしたほど数限りなく出現した地涌の大菩薩や、釈迦如来、多宝如来、諸仏の御加護でなければ防げないであろう――。

「修羅」がその身に入った、「邪教と権力の結託」に対しては、地涌の菩薩と諸仏の力以外では勝てない。こう御書に仰せの通り、地涌の菩薩の集いである学会は、見事に「大勝利の歴史」を刻んできた。すごいことなのである。(拍手)

日寛上人は、「三重秘伝抄」で、大海の中に立っても、海水が膝までしかこないほどの巨大な姿として、修羅を表現されている。経典に、そうあるのである。

(「修羅は 身長みのたけ 八万四千由旬、四大海の水も膝に過ぎず」)

それくらい、自分が偉いと驕り高ぶっている。自分の実像が見えなくなっているのである。

しかし、そのような傲慢な人間は、自分より強い者に責められると、小さな小さな「本当の姿」に縮まって、逃げていく。そのことは、「佐渡御書」で、「 おご傲 れる者は必ず強敵に値ておそるる心出来するなり例せば 修羅しゅら のおごり 帝釈たいしゃく に せ責 められて無熱池の蓮の中に小身と成て隠れしが如し」きちっと説かれている。

修羅は、こちらが、より強い力で責めれば、本来の姿が暴かれて、醜態をさらしてしまうのである。

勝利の時、謙虚な者は、次も勝利

最後に、人類の英知の言葉を紹介して終わりたい。

マハトマ・ガンジーは語っている。

「すべての文明が試練の途上にあることを考えなければなりません。永遠性をもつ文明とは、それに堪えて生きのびてゆく文明です」(森本達雄著『ガンディー』講談社)

我らも、常に、試練に耐えてきた。

また次は、フィリピンの格言である。

「強さと勇気が、人生に前進をもたらす」

「団結のなかにこそ、力は存在する」

「苦闘が多ければ多いほど、勝利は輝かしい」

「多くの犠牲と苦労を経験しなければ、成功とは何かを決して知ることはできない」

「舌は最も強力な武器である」

「真実の言葉ほど、強力なものはない」

「勝利の時に、謙虚になることを知る者は、二度、勝利者となる」

「富は失われても、智慧はなくならない」

「もし世界を変えたければ、自身を変えることから始めよ」

皆さま方のご健康とご長寿、大福運の人生を、私は一生懸命、祈っております。一生涯、祈ってまいります。
きょうは長時間、本当にありがとう!
(東京牧口記念会館)

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「5.3」記念第33回本部幹部会 (1999年5月1日)①
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「5.3」記念第33回本部幹部会 (1999年5月1日)②
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「5.3」記念第33回本部幹部会 (1999年5月1日)③
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