投稿者:信濃町の人びと   投稿日:2015年 5月 2日(土)18時02分39秒     通報
池田大作全集90巻より
「5.3」記念第33回本部幹部会 (1999年5月1日)③
「民衆勝利の劇」から新しい歴史が

さて、
「この地から、しかも今日から、世界歴史を画する一つの新しい時期が開けるのだ」(『滞仏陣中記』永井博・味村登訳、『ゲーテ詩集』12所収、潮出版社)――。

これは、フランス革命のさなか、勇敢なる「民衆の勝利の劇」を見つめた、文豪ゲーテの感嘆である。

ゲーテが見たのは、今から約二百年前の一七九二年九月。有名な「ヴァルミーの戦い」――ヴァルミーと呼ばれる丘での戦闘があった。

ナポレオンが表舞台に登場する、少し前のドラマである。この時、フランス周辺諸国の連合軍は、「フランス革命」の台頭を押しつぶそうとしていた。国境を突破し、首都パリに襲いかかろうとした。そのさなかの戦いである。

歴史家は、さまざまに分析している。

連合軍(プロシア軍)は、当時、ヨーロッパで随一の強さを誇る、貴族の軍隊。十分な武器もある。勝つに決まっていると、傲り高ぶっていた。
一方、最強の敵を迎え撃つフランスの革命軍には、正規軍とともに、義勇兵が、たくさんいた。

連合軍は、「浮浪者」たちの集まりとバカにして、「脅せば、庶民どもは逃げ去っていくだろう」と、たかをくくっていた。

慢心していた。有名大学出身者が、学歴のない人間を、傲慢に見くだすかのように。
連合軍は、激しい砲撃を浴びせた。しかし、フランス軍は屈しなかった。

ここで自分たちが敗れてしまえば、革命は挫折し、貴族たちの天下だ。庶民は、また馬鹿にされる。「自由」「平等」「友愛」という革命の理想もなくなる。それでは、あまりにも不幸だ――そういう覚悟であったかもしれない。

庶民の英雄たちは「革命精神」で武装していたのである。

「革命精神」――私どもで言えば、「信心」である。「心」で決まる。

「革命精神という武装を忘れるな!」。そう私は叫びたい。

創価学会も「庶民の義勇軍」である。「信心」という武装がある。「正義」という闘魂がある。本物の同志がいる。だから強い。だから屈しない。

フランスの慣れない新兵の中には、最初は砲弾に驚き、たじろいで逃げようとする者もいた。しかし、歴戦のケレルマン将軍がいた。五十七歳。将軍は厳然として、こう叫んだ。

「一歩も引いてはならない! 私は、ここにいる! 君たちと、ともに!」

将軍は、皆を励ましながら、態勢を立て直して前進していった。

人にいばるのが中心者なのではない。同志を励ましながら、「一緒に戦おう!」「一緒に死んでいこう!」。この心があってはじめて、人は動く。

いわんや、上から命令するだけで、人を利用して、地位や世間的な栄華を、うまく手に入れる。いざとなると皆に苦労させて、自分だけは傷つかないように、うまく泳いでいく。こんな卑怯者は、最低中の最低の人間である。

ヴァルミーの戦いは、「庶民と貴族の戦い」と呼ばれた。

勢いを増す義勇兵たちは、戦いのさなか、大地を揺るがす大歓声をあげていった。「国民万歳!」「民衆万歳!」

どんな爆音があろうが、砲弾が来ようが、叫んだ。怒涛のごとく。雷鳴のごとく。「国民万歳!」「民衆万歳!」

何万というフランス軍が、サーベルや銃剣の先に帽子を乗せ、それを打ち振りながら、叫び続けた。

敵は驚いた。動揺し、足をとめた。
民衆の朗らかさ。恐れなき心意気。これが勝利の源泉である。そして、悪天候と病気と食糧不足に悩む連合軍のほうが、ついに撤退するにいたったのである。

「声、仏事(仏の仕事)を為す」である。声が武器になる。声が力になる。

この戦いで、連合軍が敗れた一因は、指揮官の戦意の薄さだったともいわれている。その理由は、いろいろあったであろうが、一般的にも、地位にすがりつく人間は、実は臆病である。自分を守ろうとするあまり、捨て身になれない。そこに弱さがある。

この「ヴァルミーの戦い」の規模は大きくはなかったが、「民衆の勝利」の記録として、高く評価されてきた。

わが同志の皆さまの各地での偉大な闘争もまた同じであると私は思う。諸仏も諸天も喝采を送っているにちがいない。

フランスには「エスプリ」がある。精神の力がある。ある意味で、どの国よりも強いかもしれない。

先年(一九九七年)、亡くなられたルネ・ユイグ氏。何度も語り合ったが、いつも、この「エスプリ」を口にされていた。(対談集『闇は暁を求めて』を発刊。本全集第5巻収録)

亡くなられた後、奥さまから連絡をいただいた。「夫は、いつも、池田先生のことを懐かしく話しておりました」と。
そして、遺品を贈呈したいという申し出をいただいたのである。

あの世界的なポーリング博士(ノーベル化学賞・平和賞受賞者)からも、同じように遺品を託された。あまりにも貴重な「人類の遺産」であり、アメリカ各地で紹介させていただいている。(「ライナス・ポーリングと二十世紀」展)

二十年前、私は会長をやめた。その本質も、「民衆勢力の拡大」に対する、黒き嫉妬であった。

師匠を売る下劣な人間もいた。いつもは、聞こえのいいことを言いながら、いざという時には、何もできない、情けない人間もいた。

その時、「池田先生、フランスに来てください。先生に指揮をとっていただく城を用意しています」。そう言ってくださったのが、今のユゴー文学記念館のモワンヌ館長夫妻である。

私は、その真心がうれしかった。海外には、こんなに強く、ロマンある心をもった人間がいる。しかし、城をいただくわけにはいかない。お気持ちに感謝しつつ、私は丁重に辞退申し上げた。

ともあれ、嫉妬に狂った日本に見切りをつけて、外国へ行ったほうがいいのでは――そういう声もあった。

しかし、妻は言った。

「日本には、学園生がいるではありませんか。創立者がいなければ、学園生がかわいそうです」
事実を、ありのままに語り残しておきたい。
「次の勝利」へマーチを奏で前進

フランス革命の時、青年の情熱によって生まれ、勇壮に歌われていったのが、あの有名な「ラ・マルセイエーズ」――フランスの国歌である。
ある将軍は言った。「私は、戦闘に勝った。この歌が、私とともに、勝利の指揮をとってくれた」と。

あのナチスとの戦いにあって、レジスタンスの勇気ある者たちは皆、この曲を歌いながら戦った。私も「ともに歌おう!」「行進しよう!」と、フランスの青年部と一緒に、この歌を歌いながら行進したことが懐かしい。

私どもにとって、「学会歌」が勝利の力である。
先日も書いたが(四月二十一日付「随筆 新・人間革命」)、二十一世紀へ、「新しい前進の歌」「新しい行進のマーチ」「新しい勝利の曲」を、つくってはどうだろうか。

婦人部も、女子部も、皆が親しめるような、新鮮味のある、新しい歌の誕生を期待したい。(拍手)

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「5.3」記念第33回本部幹部会 (1999年5月1日)①
http://6027.teacup.com/situation/bbs/24305

「5.3」記念第33回本部幹部会 (1999年5月1日)②
http://6027.teacup.com/situation/bbs/24306