投稿者:信濃町の人びと   投稿日:2015年 4月29日(水)19時07分15秒     通報
池田大作全集89巻より
第25回本部幹部会 (1998年8月27日)③

恩知らずの人間を、私たちも、たくさん見てきた。創価学会のおかげで偉くなりながら、創価学会を尊敬できない。心からの感謝もない。それどころか、同志を裏切り、同志を売って、金もうけする極悪人さえいる。

彼らは「うまくやった」
「自分は学会を利用した」
「得をした」と思っているかもしれない。
しかし、インチキの人間の末路は悲惨である。

私は入信以来、五十一年間、その実例を、つぶさに見てきた。裏切った人間が何の仕事をしたか。

偉大な仕事を残して、歴史に残ったか。皆が評価したのか。そんな人間は一人もいない。社会の人にも、最後は信頼されない。支持もされない。馬鹿にされ、軽蔑されるだけである。

この一点を錯覚した人間は、全部、おかしくなっている。「恩知らずは、何をやっても成功しない」のである。

「原点」を忘れた人間は、迷い続けるだけである。

私どもにとって、信心が原点である。創価学会が原点である。その原点を忘れ、人間の正道を忘れて、何も成功するわけがない。

戸田先生も、恩知らずの人間に対しては、それはそれは厳しかった。

きょうは「地区婦人部長」の誕生、本当におめでとう!(拍手)

うちへ帰ったら、「きょうから私は″婦人部長″よ」と、いばっていただきたい(爆笑)。
なお、女子部の「ブロック長」についても、二十一世紀にふさわしい名称を、と本部でいろいろと検討してきたが、その結論として、「ヤング・リーダー」の新名称でいってはどうだろうか(賛同の大拍手)。

「地区婦人部長」「ヤング・リーダー」――スマートな新名称で、さっそうと進んでいただきたい。(拍手)
(なお、これに続き、男子部の班長は「ニュー・リーダー」、学生部の班長は「ビクトリー・リーダー」の新名称が決まった)
「沈黙するな!」「行動せよ!」

ゲーテは言った。
「今の時代には、だれも沈黙したり譲歩したりしてはならない」(前掲「箴言と省察」)

前へ! 前へ!――勇猛精進である。

「発言し、活動しなければならない。多数派に属するか、少数派に属するかはまったくどうでもいいことだ」(同前)

「批判に対しては、身を守ることも抵抗することもできない。それをものともせずに行動しなければならない。そうすれば批判もやむなくだんだんにそれを認めるようになる」(同前)

だれもが発言し、だれもが活動する――民主主義である。最高幹部も、一会員も、全部、同じである。自分が多数派だとか、少数派だとか、こう言えば批判されるとか、何だとか、そんなことを「ぐずぐず言わずに、大胆に発言せよ! 行動せよ!」と。そうすれば、敵だって、こちらを認めるようになる。

やろうじゃないか! 戦おうではないか! そういう心であろう。

私どもも、これで行きましょう! 来年も! 再来年も!(拍手)

ヘーゲルとゲーテ。
私どもは、こういう文化の最高峰について語りながら、仏法の極理をも論じている。「一念三千」とか「自受用報身如来」等と。古今東西の英知を、また仏法と世間の両方の真髄を学び、語っている。ここに学会のすごさがある。

ヘーゲルとゲーテの結論は何であったか。それは「心こそ大切なり」ということであったと私は思う。

くわしい論述は省かせていただくが、たとえばゲーテは、こう言っている。

「私の理性と才能が、心よりも高く評価されている。しかし心こそ、私の唯一の誇りである。これだけが私にとって、あらゆるもの、あらゆる力、あらゆる幸福、あらゆる禍いの源泉だ。私の知っていることは、誰だって知ることができる。しかしこの心だけは、私だけしかもつことができない」(『人生について――ゲーテの言葉』関泰祐訳、社会思想社)

仏法の極致も、鍛え抜いた「心」だけが、臨終の時も、来世までも、光を失わない「永遠の財宝」となるということである。

皆さま方は、その最高の人生道を歩んでおられる。無上の幸福道を歩んでおられる。
「心こそ大切」――この宝の言葉を誇りとしていっていただきたい。

妙法の因果は厳正

御書を拝したい。有名な御聖訓(「種種御振舞御書」)にいわく。

「日蓮に よ依 りて日本国の有無はあるべし、譬へば宅に柱なければ・たもたず人に魂なければ死人なり、日蓮は日本の人の魂なり」

――日蓮によって、日本の国の存亡は決まる。たとえば、家は柱がなければ保てない。人は魂がなければ死人である。日蓮は、日本の人の魂である――。

この御言葉を拝して、戸田先生は断言された。

「いま日本の国に創価学会が本尊流布を行っておりますが、この創価学会を倒したならば、日本のほんとうの繁栄はないのです。創価学会こそ日本の柱であり、眼目です」(昭和三十二年〈一九五七年〉二月、『戸田城聖全集』第七巻)

今、現実の姿のうえで、日本の国の存亡は創価学会によって決まると言って、決して過言ではない。

「日本の柱」である日蓮大聖人を倒さんとし、「日本の魂」である大聖人を亡き者にしようとした権力者。その張本人が、平左衛門尉である。

この極悪の権力者の末路はどうであったか?

これまでも何回もスピーチしてきたが、日本の現状と将来を厳しく見ていくうえで、もう一度、確認しておきたい。

平左衛門尉頼綱といえば、軍事、警察、政務の絶大な権限を一手に集めていた。実質的に幕府を動かし、恐怖政治をしいた強大な権力者であった。

しかし、その最後は、あまりにもあっけなく滅び去った。

熱原の法難から十四年後の永仁元年(一二九三年)四月。平左衛門尉は、なんと自分の長男・宗綱によって、「幕府反逆の陰謀」を密告された。長男が親を密告した裏には、醜い権力闘争があったようだ。

平左衛門尉の屋敷は、幕府の軍勢に囲まれ、全滅した。それは、あの熱原の三烈士を拷問し、処刑した同じ屋敷であった。

平左衛門尉は、もがき苦しみながら、ついに、次男・資宗とともに、哀れな姿で死んでいったのである。この次男は、熱原の農民に対して、矢を放って脅し、いじめ抜いた人間である。彼の最後は地獄の苦しみであった。

また、権力に群がって栄華を誇った一族郎党も、同時に滅び去った。さらには、父を密告した長男も、佐渡に流罪になった。その後、子孫は、跡形もなく滅んだのである。

生命の因果律は厳しい。
日興上人は、平左衛門尉の一族の滅亡について、「これ(是)ただ(但)事にあらず、法華の現罰を蒙れり」(富要九巻)と、仏法の峻厳さを記されている。

大聖人の御入滅から十二年目の出来事であった。

″第二代″の日興上人は、御年四十八歳(数え年)。″第三代″の日目上人は、御年三十四歳(同)。

この仏敵の打倒こそ、二代と三代が「不二の弟子」として、執念の大闘争を貫き通された「厳粛なる結実」であったにちがいない。

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■第25回本部幹部会 (1998年8月27日)①
http://6027.teacup.com/situation/bbs/24208

■第25回本部幹部会 (1998年8月27日)②
http://6027.teacup.com/situation/bbs/24221