投稿者:信濃町の人びと   投稿日:2015年 4月19日(日)19時04分33秒     通報
池田SGI会長指導選集
「幸福と平和を創る智慧」から
各部代表者会(1988年2月25日、東京)

昨日、ある人と語りあった。御書全編をとおしての大聖人の仰せは、つまるところ何だろうかと。その一つの結論として、まず「御本尊根本」ということである。妙法のみを純粋に唱え行じきっていくという「但南無妙法蓮華経」(御書1546㌻)の一念である。

そして「ただ心こそ大切なれ」(御書1192㌻)の御聖訓である。これらが、もっとも要となるともいえるのではないかということになった。

とくに後者については、たとえ御本尊を受持し、題目を唱えていても、自身がいか信心の「心」であるのか。広布へと向かう「心」なのかどうか。その奥底の「心」が一切を決める。

幸・不幸、成仏・不成仏、また仏界の方向へ行くのか、苦悩の境涯へ向かうのか――すべては、わが一心の妙用《みょうゆう》であり、厳しき結果である。この一事《いちじ》は、どれほど強調しても、しすぎることはない。

宇宙にも心法すなわち「心」がある。自身にも「心」がある。自身の信心の「心」が、宇宙にも通じていく。まことに心には不可思議なる働きがある。

わがままな心、愚痴と文句の心、疑いの心、要領主義の心、慢心、増上慢の心などは、自他ともの不幸の因である。

それらにとらわれてしまっては、飛行機が濃霧の中をさまようようなものである。何ひとつ定かには見えない。善悪の基準もわからなくなる。自身のみならず、乗客ともいうべき眷属も不幸に堕《お》としてしまう。

また「慢」の心とは、たとえていえば、暴れ馬が止まらないで狂ったかのように、心がグルグルと駆けまわっていて、自分で自分がわからなくなっているようなものだ。そばにいる人たちも、けとばされてしまう。要するに、人間として正常ではない。また、自分が思っているのとは正反対に、少しも偉くはない。それどころか、慢心とか増上慢の人は、仏法上、いちばん危険な人物である。

反対に、友を思う真心、主義主張に生きる信念の心、広布への使命を果たそうと戦う責任の心、仏子を守り、尽くしきっていこうという心、感謝と報恩と歓喜の心は、自身のみならず、一家も一族も、子孫末代まで、無限に福徳をを開いていく。諸天善神が守りに守っていく。まっすぐに成仏への軌道を進めてくれる。ゆえに「心こそ大切なれ」との仰せを、強く深く胸にきざんでの一生であっていただきたい。