投稿者:信濃町の人びと   投稿日:2015年 4月17日(金)12時05分18秒     通報
御書と師弟 「唱題の大音」 (2009年6月4日)より

■御本尊とわが生命

戸田先生は語られました。

「今こうして折伏を行じ、御本尊を信じまいらせて題目を唱えているならば、いつ御本尊を拝んでも、日蓮大聖人の生命と我々の生命とがピタッとふれ合うのであります」

「大聖人の御生命が南無妙法蓮華経でありますから、弟子たる我々の生命も同じく南無妙法蓮華経でありましょう」

私たちが拝する御本尊は、十界互具の大曼荼羅であられる。御本尊には、十界の衆生の代表が納まり、南無妙法蓮華経の光に照らされています。御本尊も十界、私たちの生命も十界です。そして、社会も十界の生命で成り立っている。

御本尊に題目を唱えると、三世十方の仏菩薩が、私たちと同じく合掌します。また、全宇宙の無数の諸天善神が、絶対に従います。十界の生命を揺り動かすのですから、悪鬼・魔民さえも強い味方となって、妙法を護り広げる働きをすることは間違いないのです。

社会も、人生も、そして私たちの生命も、変化変化の連続です。森羅万象、変わらずに停滞しているものは何一つない。人の心もまた、瞬間瞬間、めまぐるしく変化していく。御書には「一人一日の中に八億四千念あり」と仰せです。

今まで怒っていた人が、次の瞬間にはもう笑っている。何の悩みもないと言っていた人が、翌日には深い苦悩の淵に沈んでいる。このように人生は、常に変転してやまない流転の劇であります。
この移ろいゆく心を、妙法という大宇宙の根本法則に深く合致させていくのが、私たちの祈りです。

御本尊は、大宇宙の縮図です。そして、自分自身の生命も御本尊と同じです。自身の我を仏界の生命で固め、三世永遠に崩れ得ぬ幸福境涯を勝ち開く。これが「絶対勝利の信心」にほかなりません。

友のため、社会のために必死に祈る皆様の姿それ自体が、日蓮大聖人に直結した最高の慈悲の振る舞いであります。一切を、大確信の祈りで勝ちまくるのです。

■十方世界に届け!

御書には「題目を唱え奉る音は十方世界にとずかずと云う所なし、我等が小音なれども、題目の大音に入れて唱え奉る間、一大三千界にいたらざる所なし」とも説かれています。

題目の声は、「十方世界」すなわち大宇宙に届くとの御金言です。

唱題に励むとき、大宇宙の根本の法則である妙法と、わが生命が融合する。小宇宙である自身の生命の扉が大宇宙に向かって全開し、全宇宙の頂点から一切を広々と見わたすことができる。宇宙に包まれていた小宇宙が、大宇宙を包みかえしていく──これが我らの祈りです。

悠々と大宇宙を旅しながら、生命を浄化できる。そして十界のあらゆる衆生の境涯を深く知って、幸福に導く「慈悲」と「智慧」が、こんこんと涌き上がってくるのです。この祈りの大きさこそが、広宣流布の真髄です。

大聖人は、「あらゆる衆生の具えている仏性を、妙法蓮華経と名づけるのである。ゆえに、一遍、この題目を唱え奉れば、一切衆生の仏性が、皆、呼ばれてここに集まるのである」(御書498ページ、趣意)と述べられています。

「法」は見えない。しかし「音」となって表れれば、わかる。だから「声」が大切なのです。妙法を唱え弘める我らは、信心の長者なり!境涯の王者なり!この誇りで進んでいきましょう。

■師匠と心のギアを

なかんずく、広宣流布の師匠と心のギアを合わせ、師弟の魂に燃える祈りを貫くならば、わが生命の奥底から、仏の力が発光していくことは間違いありません。

昭和32年(1957年)7月3日、あの「大阪事件」で、私は権力により不当逮捕されました。戸田先生の怒りはすさまじかった。

「民衆の味方である創価学会をいじめ、弾圧する。これほど卑劣なことはない!」

戸田先生は、無実の罪で獄中に繋がれた私の解放を、ひたぶるに祈ってくださった。

「権力の魔性との戦いは、題目をあげなければ勝てないんだよ」と先生は言われました。

私の拘留中、大阪に駆けつけてくださった先生は、関西本部の会長室と3階の仏間を、幾度となく往復してくださったのです。

邪悪を弾呵する先生の題目の大音声が、同志の心に正義の炎を燃え上がらせたのです。

私の生涯は、この恩師への報恩の二字に尽きます。師の祈りに、死身弘法でお応えする以外に弟子の赤誠はありません。

若き日、私は日記に綴りました。青春闘争の結論です。

「第一にも、題目しかない。第二にも、第三にも、宿命打開は、題目しかない。実践。──実行。──勇敢に、 撓たわ まず。観念論では、一分の変革もなし得ない」

■必ずや変毒為薬と

今こそ題目をあげきって、どういう結果が出るか、実践し切ろう! 解決してみよう! だれが何と言おうが、私は私なりに御本尊にぶつかってみよう!──この決心で、十万遍、二十万遍、三十万遍、五十万遍と、題目をあげて、あげて、あげ抜きました。

先生のお体、先生のご家族、先生の会社、そして、先生の作られた学会、先生が育てられた同志……歩いていても、電車に乗っていても、いつもいつも心で題目を唱えながらの闘争でした。

祈りが、まだまだ足りない。まだまだ弱い。まだまだ小さい。自らを叱咤しながらの勇猛精進だったのです。

戸田先生の弟子として、御本尊に願い切っていこう! 働き切っていこう! 同志のために勝ち切っていこう!この一念しかありませんでした。
そして、生活の上に、境涯の上に、厳然たる解決の証拠が出たのです。「御本尊はすごい!」という大確信を、若き命に刻んだのであります。

今、未曾有の大不況にあって、全国・全世界の同志が、地域社会の一大変革のために、真剣に題目を唱えながら、人生の現実と格闘されています。
崇高なる仏の大音声が、生命を揺さぶらないわけがない。必ずや変毒為薬し、その地その国を、宝土と変えていけることを確信し抜いてください。

■諸天よ弟子を護れ

大聖人は仰せです。「各各をば法華経・十羅刹・助け給へと湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり」──湿った木から火を出す思いで、乾ききった土から水を出す思いで、私は皆の無事を強盛に祈っている──。御自身が流刑の真っ只中にあった佐渡の地から、遠く鎌倉の門下たちの身を案じられています。

法華経よ、諸天善神よ、わが弟子を断じて護りたまえ! これが師匠の祈りです。師匠とは何とありがたいものか。私はこの御文を拝するたびに、感謝と不惜の念がわいてきます。

私もまた、尊き同志の皆様方、そして全世界の民衆が、あらゆる辛苦を乗り越え、晴れ晴れと幸福・栄光の勝鬨を上げられるよう、ひたぶるに祈っています。

戸田先生は断言されました。
「題目で勝ちなさい。何があっても、あげきった題目の福運は厳然と残る。絶対に消えないのだ」
勝負は、我ら自身の一念です。行き詰まったならば、それは「前進している証しだ!」と胸を張って、何ものにも負けず、堂々と歩み抜きましょう。

創価の師弟の大音声──唱題と対話の「大風」を、縦横自在に社会へ吹きわたらせようではありませんか!
颯爽と
また決然と
指揮とれる
君が動けば
勝利の天地に