投稿者:虹と創価家族   投稿日:2015年 4月11日(土)07時14分50秒     通報
小樽問答誌 序より

(前略)
さて「法論対決の経過」に収録した二時間有余の公開問答は、徹底的な大勝利であった。これを勝利と言わなければ、どこにも勝利というものはないと信ずるものである。これはひとえに教学部においてたえず研鑚の功を績んできた成果であり、また青年部の諸氏が純真に信心と折伏に励み、たえず一体となって闘争してきた訓練のいたすところであった。余は、ここに深く満足の意を表し、さらに今後の重大にして困難な大闘争に備え、よりいっそうの勇猛精進を期待するものである。
さて、この勝利の記録に直接参加した者の、感想その他を集め、また問答終了後の動きを集めたものが「大勝利の感想」「法論以後の身延派の動き」である。その後の身延派が学会対策におおわらわとなり、末寺における創価学会との法論を禁止するなどは、当初からとうぜんに予想されたところである。むしろ小樽問答の真の意義・その真価というものは、さらに何年か後、歴史の流れの上から正しく判定される時がくるであろう。じつにこの「勝利の記録」は創価学会史にはいうまでもなく日蓮正宗史にも、いな日本仏教史にも特筆されるべき一ページであったのである。
このような意味において、本誌は正論な資料本位に編纂し、正しい歴史を後世に伝えることを眼目として「小樽問答誌発行会」の手により、発刊される運びとなったのである。

昭和三十年四月八日

創価学会会長 戸田城聖
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小樽問答は、池田先生が戸田先生の弟子として、不二の戦いをされた歴史。
池田先生の勝利は、戸田先生の勝利であり、それは学会の勝利でもありました。

この「序」を読むと、戸田先生のお喜びが伝わってきませんか。
戸田先生は、小樽問答の歴史を、学会の未来における「信仰の正統性」の布石とされています。

会則改定は、小樽問答の歴史を否定する原因を作ったのは事実。
学会の勝利の歴史を否定して、信仰の正統性を確立することはできません。

秋谷議長と原田会長は、戸田先生のことさえも忘れてしまったのか!!

性急な会則改定により、秋谷議長と原田会長は、戸田先生の思いまで踏みにじった!
二人は戸田先生の弟子ない事実がここにある。

四人組に師弟無しと断じます!