投稿者:ジョーカー   投稿日:2015年 5月23日(土)13時10分45秒     通報

功徳については、法華経の「分別功徳品」「随喜功徳品」「法師功徳品」に記されている。法華経の智慧を元にしながら功徳論を論じていきたいと思います。現代的に分かり易く表現すると、功徳は三つに分けることができます。題目の功徳、法を聴いて歓ぶ功徳、法を弘める功徳であります。もちろん功徳に関しては説き尽くすことができないほど膨大なものですので、ここでは概要を示す程度と考えて頂ければよいです。

1、題目の功徳
題目を唱えることは自身が仏であると信解するということです。そうするとどのような力が具わっていくのかを簡単にあげておきます。

・退かない境涯:何があっても負けない自分自身となっていくこと。
・聞いた教えを忘れない力:誓いを忘れない。師匠の教えを忘れずに実践できる。
・自由自在に正法を説ける力:相手が心の底で知りたいことにきちんと答えられる。的確な破折もできる。人の心をつかむ力。
・善を行い悪を止める精神力:悪に対しては激怒して戦うのが法華経の精神。
・仏の教えを退くことなく伝えて行こうという心:信心の躍動。

等などです。題目とは生命力であり、生きる力(前進)を湧現させます。生命力がなければ、目の前の困難な壁に打ちひしがれてしまう。題目をあげれば、絶望が希望へと転じます。それは生命力が湧現した証拠です。

2、随喜の功徳
有名な五十展転の功徳です。法を聞いて歓喜した功徳のことですが、これまたすさまじい。法を聞いて歓喜した人が、さらに法を説いていく。それが五十回繰り返されて、五十番目に法を聞いて歓喜した人の功徳はいかほどか。それは八十年間、あらゆる財宝等を生きとし生けるものに布施する功徳よりも優れていると。私たちにあてはめると、座談会や会合等で、信心の話を聞き、「信心ってすばらしい」と歓喜する功徳は、とてつもないということです。広宣流布とは歓喜の連鎖で推進していくものであり、故に学会活動には歓喜がなければなりません。歓喜を奪う働きが魔であり、その魔が傲慢な幹部の振る舞いや組織悪となって具現化されます。それと戦うのが信心です。
私は未来部の頃に、一日一時間の唱題に挑戦していましたが、そこで感じたことは「歓喜」です。はじめて一週間で、題目の力がわかりました。南無妙法蓮華経というのは生命そのものであり、生命が躍動し、歓ぶ言葉です。それを体感した時に、圧倒的な充実感を得ることができました。それまでの人生で、何を成し遂げても感じたことのない、根底からの歓喜を感じることができました。その歓喜が仏法対話へとつながり、学校の帰り道で、友人に語りに語っていました。はじめは二人での下校でしたが、次第に増えていき、最終的には八人での集団下校となり、全員と仏法対話をしました。歓喜が折伏へとつながり、この中で、後日入信した友人もいます。

3、法を弘める功徳
六根清浄の功徳です。法華経では、眼の功徳800、耳の功徳1200、鼻の功徳800、舌の功徳1200、身の功徳800、意(心)の功徳1200と、膨大な功徳が説かれています。自行化他の信心に、人間革命、宿命転換があるわけです。広宣流布のための行動はとてつもない功徳があり、学会活動に功徳があるのは当然なわけです。では主にどのように六根清浄されていくのかを箇条書きにします。

・眼根清浄:洞察力であり、どうしたら一番良い方向にいくのかが見えてきます。また、相手の一念がわかるようになる。
・耳根清浄:心の声を聴けるようになります。本質を的確にとらえ、誤りなく真意を汲み取れます。
・鼻根清浄:人には香りがあります。善には善の香り、悪には悪の香り等。それらを見分けることができるようになる。
・舌根清浄:自分の声で相手を歓喜させることができるようになる。
・身根清浄:生命が輝くので、誰もがみたがる気品のある姿となる。
・意根清浄:心が法華経となるので、すべてが妙法であることがわかるようになる。

本当にざっとではありますが、功徳の概要説明でした。深く論じようと思えばいくらでも論じられますが、とりあえず基本構造だけを書いておきました。信仰生活の参考にしていただければ幸いです。