投稿者:信濃町の人びと   投稿日:2015年 3月31日(火)13時07分3秒     通報
創立七十五周年記念協議会(2) (2005. 8.24)

『徹して戦え! 心晴ればれと勝関をあげられるまで』

人生は、戦いがあるから、おもしろい。われらの戦いは、声の力、精神の力で社会を変える戦いだ。幸福と平和を築く立正安国の戦いである。

戦いは、遠慮したら、だめだ。臆病であったり、ひいたりしてはいけない。ちょっとやって終わり――それでは、戦いとはいえない。徹底してやるのだ。

イギリスのシェークスピアの戯曲のせりふに、こうあった。

「なぜ勝つまで戦わないのです?」(『コリオレーナス』小田島雄志訳、『シェイクスピア全集』3所収、白水社)

あと、もう少し! もうひと踏ん張りだ! そうやって、歯を食いしばって進んでこそ、心晴ればれと勝関をあげられる。ともに勝利の喜びを味わうことができるのだ。
『キッシンジャー博士 「勇気が夢を現実にする」』

憲政の父・尾崎咢堂は言った。
「今日の世界を救うものは獣力ではない、腕力ではない、人間の知恵である。世界の平和と人類の幸福を心から願う人間の知恵の力である」(『わが遺書』、『尾崎咢堂全集』10所収、公論社)

この知恵の力を最大に発揮して、世界を結んだ名外交官に、私の友人であるアメリカのキッシンジャー博士がいる。初めてお会いしたのは三十年前。ワシントンの国務省であった。

博士は、電撃的な米中接近をはじめ、歴史的な外交を何度も成功させた。「外交の魔術師」とも呼ばれた。しかし、いわゆる「外交術」だけが、偉業を可能にしたのではなかった。博士の外交の力は、どこまでも人間対人間の信頼にあった。

何より博士は、「対話は不可能」という思い込みを打ち破り、勇敢に道を開いた。かつての敵をも味方に変えていった。

日本での会見の際、博士は言われた。
どんな偉大な事業も、はじめは、すべて『夢』にすぎなかった、前人未到の道をひとり征くには、勇気が必要なのだ、と。

夢を現実にする力。それは勇気である。何があろうと、断じて勇気を手放してはならない。

キッシンジャー博士が満面の笑顔で、青春の乱舞を絶賛してくださったことがある。昭和六十二年(一九八七年)九月十二日、わが東京・足立の青年平和文化祭であった。

私も、決意みなぎる青年たちと、ともに舞い、ともに平和を謳った。あの晴れやかな一人一人の 顔かんばせ は、私の心から永遠に消えない。

博士は、私との対談で言われた。

「青年は、自分より大きなことに挑戦すべきです」

本当にそのとおりだ。青年ならば、勇敢に、自己の小さな殻を打ち破っていくことだ。

私は、恩師戸田先生の言葉を思い出す。

「自分が変わり、自分が成長し、自分が責任を持てば、一切に勝利できるのだ。要は自分だ」

人ではない。自分が人間革命するのだ。今こそ壁を破るのだ!
さらに先生は、こう教えられた。

「戦いにあって最も大事なことは、人の心をつかむことである。人の心を動かし、とらえるものは、策でもなければ、技術でもない。ただ誠実と熱意によるのである」

誠実と熱意――ここに勝利のカギがある。
『ジェファソン「師なら今、どうするだろうか」』

アメリカの第三代大統領ジェファソンといえば、「アメリカ民主主義の父」として、あまりにも有名である。独立宣言を起草し、信教の自由を打ち立て、大学総長として教育に尽くした。

彼の原点は何か。それは青春時代の恩師との出会いであった。

ジェフアァン青年は、故郷バージニアの大学に入学する。そこで自然科学や数学、倫理学などを教えていたのが、スモール博士であった。

博士の講義のさい、真理の探究に燃える目で、鋭い質問をする学生がいた。ジェファソンだった。ある日、講義の後、博士は彼に声をかけ、散歩しながら話をした。

以来、博士とジェファソンは、毎日のように、科学をはじめ、さまざまなテーマをめぐって語り合った。まさに、「一対一」の人間教育であった。
博士は、ジェファソン青年を、実社会で活躍する識者や指導者にも、どんどん会わせた。師の薫育によって、若き知性は劇的に開花し、めざましい成長を遂げていったのである。

後年、ジェファソンは、スモール博士との出会いが、一生の運命を決定づけたと感謝している。
ほかに影響を受けた人物に、ランドルフ教授やウィズ教授がおり、ジェファソンは孫に、こう書き送っている

「私は大変早い時期に高貴な性格の人と知り合えたこと、そして、彼らのようになりたいと常に願っていたことで、私がいかに幸運であったかを思います。誘惑にあった時、そして困難な状況に面した時、スモール博士、ウィズ氏、ペイトン・ランドルフ氏はどうするであろうと自分自身に問うてみたものです。どうすればこれらの人々の承認を得られるだろうか[と自分に問いました]。

このようにして自分の行動を決めたことが、他のどんな理由よりも、正しい方向に自分を導いたと思います」(明石紀雄『モンティチェロのジェファソン』ミネルバァ書房)

偉大な師匠を持つ人生は、幸福である。偉大な師匠の弟子として生きゆく人生ほど、強く、深く、美しい劇はない。

ジェファソンの思いが私にはよくわかる。青春時代、私は全生命をかけて戸田先生にお出えし、訓練を受けた。

今も胸中の先生と対話しながら、広宣流布の指揮を執っている。「戸田先生なら、どうするであろうか」と。

「師弟不二」なれば、何ものにも揺るがない。
「師弟不二」なれば、何ものをも恐れない。
「師弟不二」こそ、究極の「絶対勝利の力」なのである。

『青年は心して政治を監視せよ』

ジェファソンは、教育の普及が民主主義の柱であると考えた。彼はしばしば言った。

「人民をして知らしめよ、然らば彼らは正しい決定を為すであろう」(長守善『トーマス・ジェファソン』刀江書院)

その思想の根底には、民衆に対する限りない愛情と信頼があった。

彼は主張した。
「私は、わが国民には今後長い間にわたって、権力の濫用をただすにたるほどの美徳と善意とがあるにちがいないと信じております」(ソール・K・パドーヴァ編『ジェファソンの民主主義思想』富田虎男訳、有償堂高文社)

民衆よ賢明になれ! 為政者を監視せよ! 権力の乱用を糺せ!

これがジェファソンの叫びだったのである。
思えば、私との対談でトインビー博士は、こう慨嘆しておられた。

「今までのところ、政治は、人間が最も悲劇的な失敗に終わっている分野」であり、「政治は人類の活動のなかでも、これまで最も不首尾で、最も才能がなく、最も非創造的で、最も工夫が足りなかった分野ではなかろうか」

まったくそのとおりと思う。よき政治、よき社会、よき指導者をつくるためには、民衆がもっと賢明になることだ。青年が声を上げることだ。
戸田先生は、鋭く言われた。

「今日の政治の堕落の根源は、その罪の大半が青年にあると論ずる外はない。

青年は敏感である。もし、自己というものを確立し、自己の思想抱負を尊重し、天下大衆の幸福を切願するならば、今日のような、腐敗した代議士にだまされるわけはない」

「とまれ、青年は心して政治を監視せよ」(「選挙と青年」、『戸田城聖全集』1所収)
この重大な遺訓を忘れてはならない。

『行動が自分をつくる、歴史を開く』

ジェファソンは言った。

「時間を無駄にすることのない人は、決して時間が足りないという不平は言わないものである。常に行動していれば、実に多くのことを達成できる」(前掲『モンティチェロのジェファソン』)
まったく正しい人生哲学だ。行動だけが自分をつくる。行動だけが歴史を開く。行動のなかでこそ、生き生きとした勝利への智慧が生まれる。

私の大好きなジェファソンの言葉がある。

「活発な精神は常に幸せである」(同前)
まさに、勢いよく広布へ進む、わが同志の姿である。仏法のために、努力また努力し、動き、苦労して、わが目標を達成していく。それらは、全部、功徳に変わる。自分の得になるのである。要領よく泳ぐ人間は、結局、損をする。まして広布を阻む悪人の末路は厳しい。皆さまが、よくご存じのとおりだ。

また、世間の財産は、今世だけで終わる。仏法に生きぬく人は、三世にわたる福徳を築いていける。想像を絶する大満足の幸福境涯になることは、御書に照らして絶対に間違いない。

日蓮大聖人は「法門を説き聞かせたので、未来までの仏種になる」(御書一四八六ページ、通解)と仰せである。

妙法を語った分、仏縁が広がる。仏になる種を蒔いているのである。これほど幸福を深め、正義を広げる聖業はない。われわれは、広宣流布という最も崇高な使命のために行動している。

私たちほどの幸福者がいるものか!――との晴ればれとした大確信で、わが決勝点へ、悔いなく走りきってまいりたい。