投稿者:信濃町の人びと   投稿日:2015年 3月30日(月)11時57分46秒     通報
各部代表協議会 (2003. 6.29)

勇敢に「日蓮が如く」大言論戦を

この七月六日は、不惜身命・死身弘法を貫いた牧口初代会長、戸田第二代会長が、日本の軍部権力によって囚われて満六十年の節である。

そしてまた、七月三日は、戸田先生の出獄の日であり、不二の弟子である私の入獄の日である。

まさに、創価学会の三代の師弟は、御書と法華経に違わぬ「如説修行(仏の説の如く修行する)」を貫き通してきた。

大聖人は門下に幾度となく、「日蓮が如く」と呼びかけておられる。
大聖人の教えどおりに、寸分違わずという決意で、そのまま実践する。それが、信心の極意にほかならない。

たとえば、「総じて日蓮が弟子と云つて法華経を修行せん人人は日蓮が如くにし候へ」

また、「総じて予が弟子等は我が如く正理を修行し給え智者・学匠の身と為りても地獄に墜ちて何の詮か有るべき」

さらに、「何れの辺に付いても予が如く諸宗の謗法を責め彼等をして捨邪帰正せしめ給いて」と。

そして、「悪王の正法を破るに邪法の僧等が方人をなして智者を失はん時は師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし例せば日蓮が如し」
――「日蓮が如く」「我が如く」「予が如く」である。
「私(大聖人)と同じく法華経を実践しなさい」「私と同じく破邪顕正の大言論戦をしていきなさい」「私と同じく師子王の心で戦っていきなさい」という仰せである。

第二祖日興上人も「先師の如く」と明確に言われている。
(「先師の如く予が化儀も聖僧為る可し」「 巧於難問答ぎょうおなんもんどう の行者に於ては先師の如く賞翫す可き事」)

大聖人がなされたように、大聖人と同じ心で、広宣流布へ戦っていくべきだ――師弟不二の実践を教えておられる。これに違背したのが日顕一派である。

そもそも、法華経の魂は、「万人を仏にする」ことにある。

方便品には「如我等無異」(法華経一三〇ページ)――「我が如く等しくして異なること無からしめん」とある。

全民衆を、自分と同じ境涯にまで高めたい。それが仏の誓願である。

その心を、わが心として「不二」の道を進んでいけば、仏と「不二」の境涯になる。それが法華経の真髄である。
その真髄を体現した尊極の和合僧が、創価学会である。

わが身をなげうって、不幸の人、貧しい人、苦しむ人を救っていく。これが大乗仏教である。創価学会の魂である。これを忘れたら、何のための学会か。どこまでも民衆のために――この魂があるかぎり、学会は永遠に発展する。

大聖人の如く、また牧口先生の如く、戸田先生の如く、断固として、広宣流布の大道を勝ち進んでまいりたい。

御聖訓には「法華経の一字は大地の如し万物を出生す、一字は大海の如し衆流を納む・一字は日月の如し四天下を照す、此の一字変じて仏となる」と記されている。

御本尊には無量の力用が秘められている。勇気ある信心を貫くことだ。妙法こそ、一切を生みだす大地なのである。